ダブの創造者、キング・タビーとリー・ペリー

ここの所よく聞いているダブという音楽はそもそも何かもう少し突っ込んで知りたくなり本を漁ったりしてみました。
ダブっぽい感覚は60年代の末頃のレゲエにすでに現われていたが、キング・タビーという男(ミュージシャンというよりレコーディングエンジニア、プロデューサー)が70年代前半に明確な形として録音済みトラックをエフェクトや音の抜き差しで大胆に加工するダブという手法を確立した。そして、リー・ペリー(エンジニア、プロデューサー、一応歌手、作曲家)がさらにそれを発展させた、という構図で、これを例えるなら、自分が以前よく聞いていたファンクで、ジェームス・ブラウンがファンクを創始し、Pファンクのジョージ・クリントンがファンクをさらに発展させたのに似ている。そして、リー・ペリーは実際はダブを発展させたというより拡散してリー・ペリーの音楽としかいえないようなものを作った(例えば代表作「スーパー・エイプ」にしても緻密に音が作り込まれた音楽であるものの、一般的なダブという印象は薄い)、これもPファンクが実際はファンクの発展というよりPファンクというジャンルとしかいえない音楽となっていったのと似ている。両者とも親分肌で天才と何とかは紙一重タイプなのも似ている。ノベルティ感覚や、80年代に失速し、クラブ文化が盛り上がった90年代以降に復活したのも。
ということが何となく分かりましたが、ざっと読んだのを自分流にまとめただけなのであるいは間違っているかもしれません。
そしていまのところ自分の好みとしては、何かドラッギーなリー・ペリーのダブよりももっと硬質なキング・タビーのダブの方が好きです。ファンクではJBの方が好きでPファンクはどこかなじめないものがあったのと同じかもしれません。


(4月8日追記)
リー・ペリーは聞き込むとだんだん良さが分ってくる音楽かもしれない。聴いているうち、かなり好きになってきた。


(追記2)
リー・ペリーは、1970年代後半に創作の絶頂期を迎えますが、人間関係のストレスやドラッグやアルコールによる奇行が目立つようになり、とうとう1979年ごろには制作拠点にしていた自らの自宅スタジオをメチャクチャに破壊してしまいます。その後、ジャマイカを出てヨーロッパでプロデューサーから歌手というかパフォーマーに転じて現在まで活動は続けています。
キング・タビーは、1980年代になってペースは落ちたものの活動を続けていましたが、1989年に物盗りに射たれて人生を終えます。