廃墟
地図で新宿御苑を見ていたら不思議なことに気付きました。 新宿御苑の南西の一角に外側の市街地がわずかに食い込んでいる部分があります。(地図1の赤枠内、新井白石終焉の地と書いてある箇所のそば) Googleストリートビューで見ると今ここには五棟の住宅ら…
Googleの航空写真で檜原村を見ていたら、道も通っていない山奥にぽつんと存在する廃屋らしきものを見つけました。 檜原街道の数馬温泉という所から南に直線距離で600mほど離れた所に、一軒の家と付属する小屋らしきものが二〜三棟建っているのが確認できます…
国分寺崖線で段丘状になっているとある場所に、崖の上下を結ぶ階段があります。 階段の途中から崖に沿って伸びていく細い道があります。 道は奥の方に続いていきます。途中に住宅に通じる階段があったりします。 さらに進むとアーチがあります。 アーチの奥…
立川の若葉町団地の側に寂れた小さなショッピングセンターを見かけました。 まだ廃墟化しているわけではないのですが、ほとんどシャッターが閉まった、非常に寂れた状態です。団地ができた頃(昭和46年)は賑やかだったのでしょうが、その後の時代の変化で寂…
Googleのストリートビューで、岐阜県の大垣駅南口前にかなりボロボロの古いビルを見つけました。駅前の高屋町交差点の北西の角に二棟並んで建っています。 一枚目の画像は南東から見たところ、二枚目の画像は北西から見たところです。 一枚目の画像で右が大…
立川市高松町3丁目の住宅街の狭い路地に廃ビル(というほど大規模ではないですが)とおぼしき建物が建っています。 上階になるほど狭くなる4階建ての建物ですが、作りから見て何かの寮あるいは病院だったのかもしれません。立川に米軍基地があった時代、この…
米軍立川基地跡(昭和記念公園の西側に残っている部分)の樹が伐られ工事が始まっているという情報を見たので見にいってきました。 西側の道路沿いの一部の区画だけでしたが、確かに樹や草が伐られ整地が始まりそうな状態になっていました。 フェンスの内側…
立川駅北口の西側、南北通路のガードの所から見た寂れた光景。 閉店して久しい看板建築風店舗と古びたビル(天馬堂ビル)。ここは第一デパート跡地と合わせて再開発され大きな建物が建つようです。
秋葉原の裏通り(千代田区外神田3-15)にある日商会館という寂れた感じの2階建てビル。 いつ頃の建物かは判然としませんが、昭和30年代かそれ以前かもしれません。全体的に武骨な中で階段室?のガラス張りの吹き抜けがいい感じです。今はだいぶくたびれてち…
1990年代の前半、台湾へ行った時に、中西部の街彰化で見かけた古いビルです。 赤レンガの三階建てで横に長い長屋的なビルです。 現役で使われているビルですが、だいぶくたびれた様子がちょっと廃墟的雰囲気を醸し出しています。テナントにはどういう理由か…
東京駅の八重洲口の中央から南東へ伸びる通りに面してすごいビルが建っています。 誠ビルという古いペンシルビルです。廃墟と見紛うほどボロボロのビルなのですが、現役のビルとして店舗なども入っています。 デザインからみて昭和初期頃のビルと思われます…
2年ほど前にも載せたことがありますが、秋葉原の西外れ、神田明神の近くに良い感じのボロいビルがあります。 石丸電気明神ビルといいます。 武骨で古びた様子に味わいがあり、すでに使われていないのか廃ビルになりかかっているようにも見えます。エアコンの…
東京都文京区小日向1-23の住宅街の中に、清華寮という廃墟化した建物があります。 昭和初期ごろに建てられた集合住宅(学生宿舎)で、いろいろな経緯を経て、近年まで台湾の留学生が住んでいましたが、2007年に火災にあって以降、修復もされず廃墟化した状態…
秋葉原にておそろしくボロボロのビルを見つけました。 住友不動産秋葉原ビル(ベルサール秋葉原)の北西の向い側の角地です。ビル名称は不明。入り口の庇には東運電機と書いてあります。 三階建ての小ビルで、いつごろの建物か判然としませんが、戦前にまで…
日本橋の中央通りに面して結構長いこと廃墟状態で建っていた加藤ビル。 以前も載せたことがありますが、側面の画像も加えて再掲します。これらの画像は1990年代の初めごろ撮った写真です。 昭和4年建築の古いビルで、骨格だけになった様式建築といった印象で…
西国立駅の東の方、郵政大学校の近くで、廃倉庫(あるいは廃工場)を発見しました。 建物はすでに使われなくなって久しいようで、前庭は駐車場になっていました。 いつ頃建てられたのか分かりませんが、たたずまいにどこか昭和の雰囲気が漂っています。 (追…
1980年代の末に撮った廃墟的な何かの建物の写真です。 場所としては東京都内、おそらく原宿近辺のどこかと思われるのですが、詳しいことは忘れて不明です。 作りから見て戦前の建物であることは間違いなく、煙突が見えるので何かの研究施設だったのかもしれ…
1927年(昭和2年)に完成した同潤会代官山アパートは1996年に解体され、跡地は現在高層化して代官山アドレスになっています。 代官山アパートは1980年代末期にはかなり老朽化していましたが、まだ居住者もいて店舗になっている部屋もありました。これらの画…
1934年(昭和9年)に建てられたかつての国鉄汐留駅の駅舎です。現存していません。 長く貨物駅として使われてきましたが、この写真を撮った昭和末期には廃止され、建物も古びたままですでに廃墟的な雰囲気を漂わせていました。 東京都港区新橋1丁目のこの場…
以前の記事、昔の思い出 昭和末期の米軍立川基地跡の廃墟のこと、及び、米軍立川基地跡の廃墟 その2、の続きです。 さらに雑多な画像を掲載します。 高級住宅と思われる建物。 同上。 バルコニーのついた入口。 廂のついた入口。 床が抜けている室内。 長い…
1990年代の初期頃まで、首相官邸の裏に廃墟群が放置されていたり、非常に古いアパート群が残っていたりしましたが、2002年までに首相官邸が新官邸になり敷地も拡大される工事にともなって姿を消したようです。 これらは以前も載せたことがありますが、今回は…
九段下ビルの前を通ったら西側部分に解体工事の足場がかけられていました。 ギャラリーが一軒、中を開放していたので覗いてきました。三階の右端部分です。暗い階段を登ると 奥の部屋に 砂が敷かれて玉子型のオブジェが飾られていました。 裏のベランダにも…
かつて、新橋駅西口広場の北に、廃ビルが長いこと建っていて広告塔として使われていました。 堤第二ビルといったようで、現在も近くに建っている 堤第一ビルと関係があったのでしょう。窓などのデザインからみてもかなり古いビルだったことが分ります。 この…
2年ぐらい前にも載せたことがありますが、どこか分らない謎の廃墟の画像。 より鮮明な画像があったので再掲します。 どこでしょうか? (追記) これは、かつて新宿区百人町にあった建設省建築研究所の廃墟化したものであると判明しました。(→*)
北新宿百人町交差点の北東の角にぽつんと建つ、青タイル貼りの高度成長時代頃の小さく奥行きもない薄い3階建てビル。 あまり手入れがされていないように見え、すでに使われていない廃ビルかもしれません。 入口に「日本花卉新聞社」の表札がかかっています。…
神田須田町1丁目にあった桑原羅紗店のちんまりした建物。 3階建てビルあるいはビル風看板建築です。 大正末〜昭和初期ごろの建物だと思われますが詳細不明。 かなり古びていますが、ちょこちょこと飾りがついていたり、縦長窓の桟の細かさに味わいがあります…
神田須田町の路地に建つかつて村木商店と言われていたこの建物はビルではなく木造の看板建築かもしれませんが、昭和初期頃の建築で、当時の著名な建築家の岡田信一郎が設計したという説があります。看板建築にしては妙に重厚さがあります。 (アクトデザイン…
築地の晴海通りの新大橋通りとの交差点近く(中央区築地2-15-13)に、華僑ビルというすごく古びたビルが建っていました。大正末〜昭和初期ごろの建築と思われますが詳細不明。雰囲気にどこかアジア的エキゾッチックさがあるし、名前の通り華僑関係のビルとし…
以前の記事、「昔の思い出 昭和末期の東京 東京工業試験所等の廃墟のこと 都会の中の廃墟のことなど」の続編として。 写真中央の古めかしい建物は、廃墟化した東京工業試験所(渋谷区本町1-1。現在新国立劇場が建っている場所)の施設の一棟と思われますが、…
代々木駅西口前の一等地になぜか10年以上廃墟状態で放置されている代々木会館という古い雑居ビル。昭和30年代頃の建物だと思われます。 このビルにまつわるエピソードはネットに散見されます。いよいよ近く取り壊されるような話もあります。 完全に廃墟で無…