古代人には意識がなかった?

古代人には現代人のような意識がなかったという説があるらしい。
ここでいう意識とは、意識を失うとかの意識ではなく、自己認識といった意味の意識である。
古代人はそれがなかったのだという。自分が自分であるという意識を持っていなかった、自己の存在に気付いていなかったということらしい。文明の発達とともに人間は自己に気付いたらしい。
この説についてはもう少し調べてみたい。


この本がその問題を扱っているらしい。そのうち読んでみようと思う。

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡


(追記)
読了したが大部の本なのでなかなかうまく読後感が書けない。
人間の心はもともと、言語を司る左脳と、直観的領域を司る右脳に別れていて、古代人は右能の発する「声」を「神の声」として聞き、その直観に従って物事を判断して生きてきていたということらしい。やがて3000年前の社会変動でそうした心の「二分心」(この本でそうした心の有様を表す用語)システムが崩壊して、左脳が「意識」(「自意識」)を司るようになり、もはや「神の声」は聞けなくなり、現在のような心のあり方に変化していった、しかし、統合失調症患者などにはその名残が残っている、というのがおおまかな論旨である。それを史料によって論証している。


(追記2)
金剛般若経などで「自己という思いを起こしてはならない」と説いているのは、意識がなかった時代の心に還れという意味合いがあるのかもしれない。
そういえば道元禅師も「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり」と言っている。