丸山圭三郎『ソシュールを読む』 (講談社学術文庫)を読んでいたら次のような記述がありました。
最近アメリカのアーカンソー州で興味深い事件が起きました。それは、「進化説」と「創造説」を同等に扱ってほしい、扱わなくちゃいけないという法案が作られ、州の議会で承認されたことです。
この法案の名は、Balanced Treatment of Creation Science and Evolution Science Actであって、どちらもサイエンスとうたったところが面白い。つまり『聖書』に書かれているように、人間は神によってつくられたんだと考える「創造説」という名のサイエンス、それからダーウィンやその前のラマルクや、ああいった人々が主張した「進化説」という名のサイエンス、このいずれも公平に扱うべきだという法案は、科学だけが公の教育で強制的に教えられるという片手落ち的政策、あまり人々が疑わない大きな不正をついたものとして、それなりに評価されてよいのではないでしょうか。
(p.108)
こう主張されるのは、素朴な科学信仰がはびこって一般大衆が科学への信仰を一度も疑ってみなくなっていること、科学もまた一つのイデオロギーであること、ダーウィニズムの、生存競争、適者生存という発想は人種差別や福祉問題に大きな影響を及ぼしかねないことへの懸念、といった文脈のあとです。つまり、素朴な科学信仰への異議申し立てという意味合いです。
この本の原本が出たのが1983年の6月であり(約30年前)、その頃はまだ素朴な科学信仰と言えるような状況があったわけです。素朴な科学信仰よりもむしろ科学不信のはびこっている2014年現在からすると隔世の感があります。現代は科学文明に対する拒否感があったり、科学よりも神秘的なものの方に心引かれる人も多かったりします。それも、素朴な科学信仰から脱却してバランスのよい思考ができるようになってきたというわけでもなく、ただ漠然と反対の極に振れただけという感じです。科学自体は30年前から進歩しているのに、人々は科学に冷めてしまったようなところがあります。一方、ここで期待された「創造説」も科学に対するもう一つの立場という単純なものではなく、もっとイデオロギー色の強いものであることも明らかになりました。
素朴な科学崇拝を戒めるよりも科学への信頼(および科学者への信頼)をいかに回復させるかという方が重要なテーマであるのが現代でしょう。(もっとも、こう考えること自体が素朴な科学信仰にほかならないと指摘されてしまうかもしれませんが)
- 作者: 丸山圭三郎
- 出版社/メーカー: 講談社
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