仏教名句

仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ」
道元

仏道をならうというのは自己をならうことである。自己をならうというのは自己を忘れることである。自己を忘れるというのは宇宙のすべてによって明らかにされる(=悟らされる)ということである。宇宙のすべてによって明らかにされるとは、自分及び他者の身心(=意識・感覚)を抜け落ちてなくならせるということである。そこには悟りの跡形もなく、跡形のない悟りが永遠に続いていくのである)


「五大に皆響きあり 十界に言語を具す 六塵悉く文字なり 法身は是れ実相なり」
空海
(五つの元素(からなるあらゆるもの)には皆(真理の)響きがある 十界(=全ての世界)は(真理を語る)言語を持っている 六つの感覚による全ての認識対象はことごとく(真理を表す)文字である 仏の真理はありのままの姿である)


「菩提本より樹無し 明鏡もまた台に非ず 本来無一物 いづれの処にか塵埃を惹かん」
〜六祖慧能
(悟りにもともと(たよりになる)樹などはない 明鏡(のような心)もまた(悟りの)台ではない 本来無一物 どこに汚れがつくことがあろうか)


「応無所住而生其心」
まさに住する所無くして、しかもその心を生ずべし。
金剛般若経
(何かにとらわれることなく発心しなさい)


「願わくはこの功徳を以て普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」
〜普回向