自動車依存社会の終焉を目指して—5. 松本清張「速力の告発」
この項では松本清張の小説「速力の告発」を紹介しよう。
「速力の告発」は「週刊朝日」昭和44年3月21号から5月16日号まで9回にわたって連載された交通事故と自動車問題をモチーフにした中編である。
昭和44年(1969年)といえば、交通事故死者数がピークを迎える時期である。この年の交通事故死者数は16257人、戦後最悪となったのは翌年昭和45年の16756人である。昭和44年の交通事故死者数は前年昭和43年の14256人から一挙に2000人も増え、前年からの増加数としては最大であった。
さて、この小説のストーリーは次のようなものである。
家電販売店店主の木谷修吉は妻と3歳の息子を車に撥ねられて亡くしてしまう。
事故を起こしたのは25歳の青年だった。彼、吉村紀久雄は一流企業勤務のサラリーマンで入社一年目にボーナスで念願の自動車を購入したのである。その車は速度や加速度に優れていてスピード志向の若者の心を捉えたのであるが、追い越しのためにスピードを上げすぎたことが運転ミスにつながり事故を起こしてしまったのであった。スピードを緩める暇もなくバス停の人込みに突込み、木谷の妻子の命が奪われた他、三人が重傷を負った。運転者の吉村はかすり傷一つ負わなかった。
吉村紀久雄は非常に責任を感じ、木谷のところへは頻繁に足を運び許しを請い仏壇の前にひれ伏した。
木谷は事故の責任の重さに次第に憔悴していく吉村の様子を見るうちに憎めなくなっていった。吉村は一流企業のサラリーマンとはいえ家庭は豊かではなく、父親は安月給の下級公務員、下には学校に通っている弟妹もいる。吉村は他に重傷を負わせた三人にも補償しなければならないので、金銭的負担も重圧である。結婚費用ももはや捻出できないので婚約者に破談を申し込むとあっさり了承された。さらに吉村はこの事故のため会社での出世ももはや望めないかもしれない。
そのようなわけで、木谷は事故を起こしたのが吉村であるとはいえ、彼一人に咎を負わせるべきことではないと考えるようになり、吉村とは示談とし、裁判でも減刑嘆願した結果、吉村は禁固一年執行猶予三年となった。
スピードを謳い上げる自動車の広告を見て、妻子の命を奪った真の相手は吉村ではなく高スピードの車を大量生産している自動車メーカーこそ加害者ではないか、と木谷は思うようになった。
木村は自動車の最高速度を80キロまでしか出ないように法規制すべきだと思った。
木村は自動車メーカーを訪れてその持論を展開するが、メーカー担当者からはスピードこそ文明の基本だとか運転者のモラル論だといった対応をされ、ある学者の論文だとして、交通事故を防ぐためには自動車道路の拡幅が急務である、という趣旨のパンフレットを示される。そこで木村は、車の販売量に道路の拡張がとても追いついていないことを指摘する。粘った末、社長秘書室長に会った木村は、自動車の速度を80キロ以下にすることと、道路が拡張整備されるまでのここ3年間は自動車の製造を中止することを求めるが、受け入れられない。
木村は各自動車メーカーに同様の申し入れをしたが埒が明かない。
木谷は、近所の人の話で、自動車で死亡事故をおこして自責の念でおかしくなりかけている男の存在を聞く。
木村は彼が出所したばかりだという千葉の交通刑務所を訪れて事情を聞き見学すると、たまたま講演に穴が開いたための代わりの講師を頼まれる。
木谷はその講演で収容者を前に持論を展開し、本当の人殺しはあなた方ドライバーではなく自動車メーカーだと言い、事故を起こしたドライバーは刑務所でこうやって苦しんでいるのに、メーカーの重役はなんら責任を問われず、儲けた金で政治献金して国家権力の庇護を受けている、ここの囚人は自由の身にして、自動車メーカーのボスたちを刑務所に入れるべきだ、社長は処刑してもよい、などと述べた上、自動車産業糾弾の国民運動を起こしたいから皆さんの助力をいただきたい、とやったため、囚人たちは大歓声をあげ、刑務所の職員たちは狼狽した。
木谷は主張を各新聞社にも投稿したが採用されない。問い合わせても載せるか載せないかはこちらで判断していると言われる。
事情を知るものから、新聞社は大広告主である自動車メーカーを憚るのでそんな主張を掲載できるわけがないと教えられた。
雑誌社に投稿しても結果は同じであった。
木谷は通産省の自動車管轄の局長に面会を申し入れたが代議士の紹介がない面接は受け付けられないと断られるも、結局担当の課長補佐に会った。
課長補佐に自説を言うと、自動車の販売停止については商売の自由人権の自由を犯すことになるから命令することはできないし、道路のゾーニングなどの交通行政については運輸省、道路整備については建設省の管轄だと云う。
たらい回しの態度に木谷が苦情を言うと、課長補佐は、自分の口から出たと言っては困るが、運輸省に言って陸運局が新車の三年間運転許可を与えないようにすれば乗れないから車は売れなくなる、というアイディアを出す。
木谷が運輸省陸運局に行ってそのアイディアを伝えてみると、担当者は、そんなことは人権侵害になるからできないが通産省なら行政指導ができると言う。
そのようなことで、木谷は通産省と運輸省の間を往復するも、結局何の成果も得られなかった。
そのころ、木谷には、吉村紀久雄や交通刑務所で講演した縁で出所者が何人か同志になっていた。木谷が彼らととも結成した「自動車産業対策運動期成会」は、自動車問題をアピールするために、特に渋滞道路を狙ってある計画を実行する。
この作品は推理小説だから、ようやくここから事件が動き出すのだが、結末はここまでの設定での本筋のテーマとは直接関係のない事件になっていくので、推理小説として破綻していると言えなくもない。
しかしそんなことよりも、この自動車問題こそが作者の訴えたかったテーマであり、小説の形で書いてみたものなのであるから、それこそが重要である。
主人公木谷修吉の口を借りて出る、自動車、特に自動車メーカーへの糾弾が圧巻なのである。
小説中で木谷が記した手記は云う。
「この豪華や優美が車の魔力でもあります。車内は一流ホテルのロビーか金持の家の応接間のミニチュアを思わせます。」
「息苦しいほどせまい家やアパートに住む不満を、人々は車という『文化小住宅』を持つことによって快適感に変えようとしているのです。スピードとこの近代的快適感を利用者は『文明』だと錯覚しているのです。」
「自動車メーカーが与えた殺人につながる危険な錯覚です。」
「自動車メーカーは、それは車が悪いのではなく、運転者の心がけが悪いのだと云っています。運転者が気をつければ事故が起こるはずはなく、車が凶器となるはずはないと云っています。」
「彼らはこう云っています。『車が人を殺傷する凶器だというのは、台所の包丁が凶器だというのと同じである。包丁を使って殺傷事件が起きたからといって、包丁を世の中から無くすことができようか』ところが、この云い方には重大な論理のスリ替えがあります。台所の包丁が凶器になるのは、犯人がそれを凶器として使用するという意識があってのことです。つまり、犯意があっての凶器です。しかし、車の運転者は意識して人身事故を起こしたのではないのです。犯意はまったくないのです。その意思にそむいて相手を殺傷したのです。」
「はじめから犯意をもって使用する台所の包丁と同じ次元に立って、『包丁は凶器だから作るなというのと同じ議論です』などと業者が云うのはごまかしの言い訳です。」
このあたりの状況は現在とまったく変わらないし、今でもときどき持ち出される類いの短絡的な自動車擁護論・規制反対論がすでにこの時点できっぱり退けられているのが分る。
交通事故の死傷者が激増し交通戦争といわれていた時期に「社会派」松本清張が放った、凶器である自動車を製造販売しても社会的責任を果たさない自動車メーカー及び業界べったりの行政に対する痛烈な批判であった。
「速力の告発」は『分離の時間』(新潮文庫)に収録されているが、この本は残念ながら絶版になっているようである。
(続く)
自動車依存社会の終焉を目指して—6. 自動車が街や地域社会を破壊している