伊藤計劃『虐殺器官』を読んだ

伊藤計劃虐殺器官』を読んだ。
(以下の記述は少しネタバレを含みます。)


あらすじは、
舞台は2020年代ごろ。核テロによってサラエボが消滅し、インド・パキスタン間でも核戦争が起きている。先進諸国はテロを防止するためとして生体認証を駆使した管理体制になっている。
途上国では、大量虐殺が横行するようになっていた。
主人公、アメリカの特殊部隊大尉のクラヴィス・シェパードは、大量虐殺の背後にいる人物ジョン・ポールの暗殺を命じられ、何度も追いつめるが、肝心なところで取り逃がしてしまう。
ジョン・ポールはもと言語学の研究者で、虐殺が発生する社会に現れる言説を研究しその構造を突き止め、それを「虐殺の文法」と名付けていた。それを逆用し、途上国のためのPRコンサルタントとしてジョン・ポールはターゲットとした社会に「虐殺の文法」を流すことで虐殺を誘発していたのであった。一体何のために?
というものである。


この作品は言語学を背景にしているところが特に興味深かった。言語学は小説の題材としてあまり取り上げられない分野である。(追記:山田正紀の『神狩り』も言語学を題材にしている。)
文庫版の解説にもある通り、この作品で語られる言語論や人間の本性論は、言語心理学スティーブン・ピンカーに拠っているものと考えられる。(ピンカーは「虐殺の文法」ということは言っていないが。) 人間の言語機能は、遺伝的に備わっている器官(臓器に対して脳内の)の一つであり、人間の本性も後天的にいくらでも書き込みができるような「空白の石版」ではなく遺伝的に決まっている、という考え方である。(こういうと、何でも遺伝子のせいという俗流利己的な遺伝子」説に思われるかもしれないが、ピンカーはもちろんそういう立場ではない。)


この作品はSFというより近未来アクションという趣でもあるので、戦闘シーンがリアルだった。精密な光学迷彩だとか、良心や倫理観をブロックし相手が少年兵でもためらわずに殺せるように薬物とカウンセリングで処置をするとか、痛みは感じるが苦痛は感じないようにして手足が千切れても戦い続けられるようにする薬物処置とかは、ほんの少し先の未来なら実際にありそうである。科学技術で徹底的に管理された戦争はすでに現実である。


この作品のテーマは、先進国(特にアメリカ)の身勝手さとその報いということになるのだろうか。
ラストで、シェパードはジョン・ポールの行っていたことを継ぐ形で、ただしターゲットを変えて虐殺を引き起こすことになる。この重い過程がわりとあっさり書かれていたのはちょっと物足りなかった。その後のことを描く続編が構想されていたのかもしれない。


虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)