伊藤計劃『ハーモニー』を読んだ

伊藤計劃の『ハーモニー』を読んだ。
時代は21世紀後半、21世紀前半に起きたアメリカ合衆国での民族虐殺頻発により合衆国が崩壊し核兵器が拡散して世界各地で核戦争が起こったという<大災禍>により癌や疫病が蔓延した反省により、人類社会は人命と健康を何よりも尊重し高度の技術で徹底的に健康を管理する福祉厚生社会を築き上げていた、というのが舞台設定である。
アメリカ合衆国での虐殺というのは前作『虐殺器官』のラストから繋がる話と思われる。
この一見ユートピアとも思える社会を根底から揺るがす事件が起き、世界保健機構の監察官である女性主人公が捜査に乗り出すというストーリーである。
虐殺器官』では人間の本性がテーマとなっていたが、『ハーモニー』では人間の意志と意識の問題が扱われる。この作品では人間の意志が次のように語られる。
「人間はこの報酬系(人の各種行動や選択を動機付ける快楽や精神的充足あるいは苦痛などの系)によって動機づけられる多種多様な『欲求』のモジュールが、競って選択されようと調整を行うことで最終的に下す決断を、『意志』と呼んでいるわけだ。」
「意志ってのは、ひとつのまとまった存在じゃなく、多くの欲求がわめいている状態なんだ。」
「人間の意志ってのは、常識的に思いがちな一つの統合された存在、これだと決断を下すなにか一つの塊、ようするにタマシイとかその類似物じゃなく、そうやって侃々諤々の論争を繰り広げている全体、プロセス、つまり会議そのものを指すんだ。」
「人間の意志というのは、様々な報酬系が競うまさにその状態全部を指す。それは双曲線割引という一種不合理な指向性に基づいて生成される。しかし重要なのは、これら報酬系の相互干渉が、フィードバックを伴う再帰的構造を取るということだ。選択の結果によって、報酬系は絶えざる変化と修正に晒されている。結果が報酬系に影響を与え、報酬系が結果をもたらすループを描いているんだ。だから、選択時における少しのずれがどんどん増幅され、そのカオスは周期的に倍加していく。人間の意志が安定せず、合理的でなく、予測がつきにくいこともある理由はそれだ。」
「会議に参加する者の意見が全て同じで、相互の役割が完璧に調整されていれば、会議を開く必要そのものがない。報酬系が現在軸で価値を極大化させるような双曲線を描かずに、合理的な指数曲線で完璧な調和を見せた状態とは、すなわち意識のない状態であるということが、実験の結果わかった。」
すなわち、人間の意識とはいろいろな欲求が主張し合っている「会議」のようなもので、もし各欲求が完璧に調整されればそうした「会議」も不要になるので、意識自体が不要になる、というのである。意識とは人間の「自己」、つまり「個」である。人間が各種欲求の調整された完璧に合理的な選択に基づいて行動するようになれば、人間の「個」の存在は必要なくなるというわけである。すべての人々がそうなれば「個」としての人間はなくなり社会という「全」だけになる。
人類が次の進化の段階に進むために「個」を捨て「全」になるというモチーフは、クラーク『幼年期の終り』などでも描かれていた。
幼年期の終り』が人類は新たな段階に進化していくのに何か物悲しかったのと同じように、『ハーモニー』も物悲しい。たまたま「意識」を持たないで生まれてきた少女(主人公のかつての友達)が暴力的な体験で「意識」を発現させてしまった復讐に、人間の「意識」を奪い去ろうとする物語とも解釈できるからだ。
『ハーモニー』の文庫版解説によると、作者は『虐殺器官』と『ハーモニー』の中間にあたる<大災禍>の時代を描いた作品も100枚程度書いたが捨ててしまったそうである。その話も読んでみたかったが伊藤計劃氏はすでに亡くなっているので改めて書かれることはもはやない。


ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)