いずれ動詞の活用は無くなるのか?

日本語は動詞の活用が無くなるような変化をするのかもしれない。
「読まない」「食べない」などというところを「読むない」「食べるない」、「読みます」「食べます」などというところを「読むます」「食べるます」、「読みたい」「食べたい」などというところを「読むたい」「食べるたい」などといっている例がネット上(Twitterなど)で観察できる。
これらは動詞を接続する語に合わせたしかるべき形に活用させず、終止形に「ない」「ます」「たい」などを接続しているわけである。こういう言い方をしている人は、動詞を活用させるのが面倒なのか、動詞は活用させるものという意識が希薄になっているのかもしれない。これだと終止形だけ憶えておけば済むから、文法が簡単になる。
(ただ、「読むた」「食べるた」というような言い方はまださすがにないようだ。)
形容詞についても、「楽しすぎ」「嬉しすぎ」というところを「楽しいすぎ」「嬉しいすぎ」といった、終止形にそのまま接辞をくっつけてしまうような言い方が現れていると前に指摘したことがある。
この傾向がだんだん広まって、何十年後かの日本語では動詞も形容詞も(当然助動詞も)活用がなくなっているのかもしれない。外国人にとっては習得しやすいだろう。


(追記)
自分の立場としては日本語動詞は活用があるのではなく語幹+接辞という構造なのだと思っているが、ここではとりあえず活用形があるとして説明した。