生成文法 上昇構文とコントロール構文

(1) 太郎がお酒を飲み過ぎた。
(2) 太郎が薬を飲み忘れた。


この二つの文は一見同じ構造の文に見えますが、実は異なった構造を持っています。

(1)はもともと、
[ [太郎が お酒を飲み]過ぎた]
という構造であり、すなわち[太郎がお酒を飲む]ということの程度が[過ぎた]という意味の構造になっています。[太郎が]は[飲む]に対しての主格であり、主節の[過ぎた]の主格は本来空になっています。その空の主格の部分に対して[太郎が]が主格として上昇してきて、
[太郎が[(太郎が)お酒を飲み]過ぎた]
という格好になるので、これを上昇構文と言います。これは述語には対応する主語(主格)が存在しているという考えにより、[太郎が]に主語(主格)の役目が与えられるとするものです。(主格の「が」は実際は上昇した位置で受け取ると考えます。)
(注1)


一方(2)は、
[太郎が[薬を飲み]忘れた]
という構造であり、すなわち[太郎]が[薬を飲む]ことを[忘れた]という意味の構造になっています。主節の[忘れた]に対する主格はじめから[太郎が]です。そして、動詞連用形[飲み]は不定詞であり、発音されない(音形のない)主語代名詞PROを持っているとして、次のようになると考えます。
[太郎が[PRO 薬を飲み]忘れた]
PROは主節の主格[太郎が]にコントロールされていると考えられるので、このような構文をコントロール構文と言います。


なぜこれら二つの文でこのような違いが出るのかといえば、上昇構文の「過ぎる」はただの事態を表すものでありもともと経験者などを必要としないのに対し、コントロール構文の「忘れる」には経験者が主格として必要になるからです。
上昇構文の「過ぎる」と同じタイプの動詞には、「だす」「かける」などがあり、コントロール構文の「忘れる」と同じタイプの動詞には「残す」、助動詞の「たがる」などがあります。「始める」「終える」などは両方の解釈ができます。


(注1)
日本語などでは主語の存在(表示)は義務的ではありませんが、これは主語が存在しないのではなく文脈上分かるなら省略が可能であり(むしろ省略するのが普通)、省略されていても見えない主語が存在していると考えます。