死刑囚のパラドックス
ある罪人が死刑判決を受けた。死刑は1週間以内に執行されることになった。死刑は執行日の当日に告げられる。ただし死刑囚に執行日があらかじめ分ってしまったら死刑は取消しになるという条件がついた、
さてこの死刑囚を処刑できるだろうか?
もし執行日が1週間後の7日目ならばそれまでの6日何事もなかったのだから6日過ぎた時点で7日目当日が執行日だということが分ってしまう。そこで死刑囚に執行日を悟らせないためには7日目に処刑することはできない。つまり6日目までに行わなければならない。その場合最終日は6日目になる。そこで先ほどと同じように考えれば最終日である6日目には処刑できなくなるから、つまり5日目までに行わなければならない。そうやって1日ずつくりあげて短くしていくことで全ての日で執行が不可能になり、この死刑囚を処刑することはできない。
という形式のパラドックスが「死刑囚のパラドックス」といわれるものである。これがパラドックスであるのは、たとえば3日目に死刑執行することにしても死刑囚はそれを予測して知ることはできないので執行が可能だからである。
話を簡単にするため、明日か明後日のどちらかに執行するとして、上と同じように考えて、明後日はできないそして明日もできないから執行不可能となるだろうか?
どうやら、これがパラドックスっぽくなるのは、「あらかじめ分ってしまう」という言葉の意味の不明瞭性にあるためだと思われる。今日の時点で明日か明後日かと言い当てるのと、明後日になった時点でその当日だと言うのでは同じことだとみなせないからである。時間の経過が考慮されていないのといるのの違いである。明日か明後日のどちらかだというとき、時間の経過により明後日になった時点ではすでに明日という可能性が一つ潰れているわけで、予測が一つはずれた状態とも言える。
こうした時間の経過が取り込まれている「予測」の方はどうしても自己言及(自己参照)的になり、自己言及はえてしてパラドックス的状況を引き起こす原因になる。
このパラドックスをどう解決するかという結論がまだはっきりしないのだが思考の筋道としてこう考えてみることができよう。