『恋と禁忌の述語論理』に出てくる問題

最近出た井上真偽『恋と禁忌の述語論理(プレディケット)』という推理小説が論理学を題材にして興味深そうなので読んでみました。まだ読みはじめたばかりですが、最初の方に一つ問題が出てきたので考えてみました。9-10頁の次のような問題です。


【次の充足問題を解け】
A: 私は風呂場にいる。
B: 私は蔵にいる。
C: 私は台所の戸棚の上にいる。
D: 私は家の中のどこにもいない。
論理式
(¬C→B)∧¬(¬A→B)∧(D→(A∧C))
は真である。


(解答)
与えられた論理式は真なのでその各連言肢は真であり
¬C→B=真
¬(¬A→B)=真
D→(A∧C)=真
となる。


¬C→BはC∨Bと置けるので、C∨B=真。
¬(¬A→B)は¬(A∨B)と置けるので、¬(A∨B)=真
これから、A∨B=偽が成り立ち、このとき、A=偽、B=偽、となる。
C∨B=真とB=偽から、C=真。
A=偽、B=偽、C=真であることが分った。


D→(A∧C)≡¬D∨(A∧C)と置けるので、¬D∨(A∧C)=真
A∧C=偽になるので、¬D∨(A∧C)=真のとき¬D=真、すなわち、D=偽、となる。


まとめると
A=偽、B=偽、C=真、D=偽
となる。


命題AーDの文章と照らし合わせると、
私は風呂場にいない。
私は蔵にいない。
私は台所の戸棚の上にいる。
私は家の中のどこかにいる。
となるので、「私」は台所の戸棚の上にいることが分かる。


(台所の戸棚の上にいるということだけが言いたいなら、与えられた論理式の連言の3つ目の連言肢(D→(A∧C))は要らないと思う)


恋と禁忌の述語論理 (講談社ノベルス)

恋と禁忌の述語論理 (講談社ノベルス)


内容(「BOOK」データベースより)
大学生の詠彦は、天才数理論理学者の叔母、硯さんを訪ねる。アラサー独身美女の彼女に、名探偵が解決したはずの、殺人事件の真相を証明してもらうために。詠彦が次々と持ち込む事件―「手料理は殺意か祝福か?」「『幽霊の証明』で絞殺犯を特定できるか?」「双子の『どちらが』殺したのか?」―と、個性豊かすぎる名探偵たち。すべての人間の思索活動の頂点に立つ、という数理論理学で、硯さんはすべての謎を、証明できるのか!?第51回メフィスト賞受賞作!!


(追記)
読了しました。なかなか楽しい小説でした。
三編の短編と全てのまとめ(そしてどんでん返し)となる短い一編からなっています。
主人公の詠彦は二十歳手前の大学生、硯さんはその母方の叔母で「超高偏差値女子高校からT大へ進学、論文がフランスのパリ数理科学財団の会員の教授の目に留まり、請われてフランスの大学の研究機関へ。そこで論文の引用件数が日本人で年間トップになるほどの革新的な研究を成し遂げ、そのままフランスの金融機関へ就職。何年かで日本の平均的サラリーマンの生涯年収の数倍以上の蓄財を成すと、退社して帰国し今は悠々自適の爛れたセミリタイア生活を送っている」という大変な人物ですが、恋愛には疎いというか、詠彦のことをひそかに想っている様子。普段は田舎に購入した家で家庭菜園などを作って暮らしているようです。
個人的には、硯さんよりも第二話に出てくる中尊寺先輩にぐっと来るものがありました。その中尊寺先輩が出てくる第二話では、述語論理とサブタイトルにありますが、謎解きに使われるのは直観主義論理です。全体として数理論理学は衒学以上の効果を上げていない気もしますが、そこはそういうものだと思って楽しめばいいと思います。ミステリーはそういう「過剰なもの」も魅力の一つでしょう。その点はたとえば民俗学的趣味のあるミステリーなどと変わらないと思います。