「原始的」とか「未開」というと誤解を招きやすいし差別的な印象にもなってしまいますが、他の言語には存在する人間の言語の基本的な特性がその言語にだけは発達していないという意味です。
人間の言語のもっとも重要な特徴は、併合とラベル付け、そしてそれによる回帰的階層構造であるとされています。
併合とは、二つの要素を一まとまりにすること、ラベル付けとは併合によって一まとまりにしたものに他と区別するラベルを付けること、そして、併合とラベル付けを繰り返して入れ子構造をどんどん作っていくことによる回帰的階層構造こそが、人間の言語を動物の「言語」と区別する最も重要な特徴であるといわれています。
具体的に示すと、
併合とは、
{太郎(の)、車}
のように二つの要素を一まとまりにすることであり、
ラベル付けとは、
{名詞句)、{太郎(の)、車}}
のように一まとまりにされた要素に区別のために性質を表すラベル(たとえばここでは「名詞句」)を付けることです。これは実際に「名詞句」とか「動詞句」とか名付けられるわけではなく、そうした機能を持つ塊として使われるという意味で、説明のための便宜的な名称です。だから「名詞句」ではなくその具体的内容である「車」そのものをラベルとしてもよいのです。
それにより
「太郎の車」
という名詞句になり、
さらに併合操作で
{壊した、{名詞句、{太郎(の)、車}}(を)}
とし、ラベル付け(ここでは「動詞句」)により
{動詞句、{壊した、{名詞句、{太郎(の)、車}}(を)}}
とすると、
「太郎の車を壊した」
という動詞句ができあがり、それは下のような階層構造をなすことになります。
動詞句
/ \
名詞句 動詞
│ │
/ \ │
太郎(の)車(を) 壊した
さらにまた併合で、
{私(が)、{動詞句、{壊した、{名詞句、{太郎(の)、車}}(を)}}}
とすれば、
「私が太郎の車を壊した。」
という次のような階層構造をもった文ができあがるわけです。
文
/ \
名詞句 動詞句
│ / \
│ 名詞句 動詞
名詞 │ │
│ / \ │
私(が) 太郎(の)車(を) 壊した
この語順は日本語の場合ですが、どの言語であっても基本的にこのように階層構造になります。
こうした入れ子式の階層構造を持つことを回帰的階層構造といい、これが人間の言語の最も重要な特徴です。
こういった操作はいちいち意識しながら行っているのではなく、人間の言語機能として心的に行われている過程です。母語においてはこれが無意識のうちに行われていますが、外国語を習得する際は意識して行うこともあります。
ここまで前置きをした上で、このような特徴を備えていない言語があるのかといえば、ブラジルのアマゾン奥地に住む先住民族ピラハー族の言語(ピラハー語)が回帰的階層構造を持たないのではないかと言われています。ピラハー族は狩猟採集生活を行っている小規模の民族集団です。
たとえばピラハー語では、「これは太郎の車だ。」とは言えても、「これは花子の息子の太郎の車だ。」というような表現ができないそうです。
この表現には、
名詞句
│
/ \
名詞句 │
│ │
/ \ │
名詞句 │ │
│ │ │
花子の息子(の)太郎(の) 車
のような入れ子構造が含まれているけれど、ピラハー語ではこうした階層構造を持たないからです。
こういう場合ピラハー語では、
「これは太郎の車だ。太郎は花子の息子だ。」
という表現になるそうです。ピラハー族は小規模の集団でお互い顔見知りなので入れ子的所有関係の表現が発達しなかったといいます。
ピラハー語には、文の中に文を埋め込む表現もなく、間接話法もなく直接話法で表し、「彼はもう寝るといっている。」という意味を表す時は、「「私はもう寝る」と彼が言っている。」となるそうです。
回帰的階層構造が人間の言語の最も重要な特徴だとするとそれが発達していないピラハー語が最も「原始的」な言語となるかもしれません。(あるいは、ピラハー語の元になった言語には階層構造が存在していたが、生活環境などの変化で二次的にそれを失ったのだ、と考えられなくもないでしょう。)
ただしピラハー語については、記述し報告しているエヴェレットという言語学者の解釈が曖昧なところもあり、回帰的階層構造も存在しているのではないかという説もあって、いまだ議論が続いているそうです。
(参考文献)
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(追記)
今年出た、ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』という本があり、ピダハンというのがここでいうピラハー族のことですが、ピダハンの文化や言語について詳しく述べられているようです。この本は未読なのでいずれ読んでみようと思います。ただしAmazonのレビューによると、著者がピダハンに入れ込みすぎているところもあるらしいので、どの程度客観性が保てているのか気になるところです。
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