『複数の日本語 方言からはじめる言語学』

『複数の日本語 方言からはじめる言語学工藤真由美・八亀裕美著(講談社選書メチエ)という本を非常に興味深く読んだ。
日本語の方言には、標準語(共通語)では表せない豊かな文法現象があって、標準語よりも多様に意味を表現することができる。その文法を世界の言語の類型と比べると共通した普遍性が見いだされ、むしろ標準語の方が特殊な形式であるともいえる、標準語よりも方言の方が「世界標準」かもしれない、といったことを豊富な類例をもとに述べた本である。


内容を少し紹介すると。


言葉には、テンス、アスペクト、ムードといった文法的カテゴリーがある。
テンスとは時制、述べられていること過去か未来かといった時間的関係を語形変化で表すもの。
アスペクトとは、述べられていることが持続しているのか完了しているのかなどの相を語形変化で表すもの。
ムードとは、述べられていることについての語り手の心理的態度のこと、つまり断定なのか推量なのか義務なのか命令なのかといったことを語形変化で表すもの。
テンス、アスペクト、ムードは通常それぞれ相互に関係し合っているので一体的なものとして捉える。


日本語標準語の動詞のテンスとアスペクトは次のようになる。

テンス\アスペクト 完成 進行/結果
非過去 する している
過去 した していた


標準語ではこのようにテンスが二種類、アスペクトが二種類である。二種類あることを二項対立という。
世界の言語を見渡すと、アスペクトが二項対立のものはむしろ珍しい部類に入り、アスペクトが三項対立、四項対立のものも多い。英語でもアスペクトは、何もつかない形(無標形式)、進行形(be 〜ing)、完了形(have 過去分詞)の三つがある。
日本語でも方言にはアスペクトが三項対立のものがある。たとえば西日本の諸方言では動詞のテンスとアスペクトが次のような形式のものが多い。愛媛県宇和島方言の例。

テンス\アスペクト 完成 進行 結果
非過去 する しよる しとる
過去 した しよった しとった


たとえば、「食べよる」というのは食べている最中のことであり、「食べとる」というのはもうすっかり食べてしまっているということである。
標準語ではこの違いをストレートに表すことができず、もって回った表現で伝えなければならない。


また、エヴィデンシャリティーという文法概念があって、述べていることが自分で体験したのか目撃したのか人から聞いたのかなどを区別して示す語形変化による表現のことであるが、これも日本語標準語にはなくても、沖縄方言や宮城県の方言にこれに類するものが存在する。古典日本語の「き」と「けり」の違いもこれに類するものかもしれない。(「き」と「けり」については直接体験・間接体験とみなすほかに、「けり」を回想とみなす考えもある。)


このように世界の言語に普遍的にみらるが日本語標準語にはない表現でも、方言をみれば当たり前に存在することもあるのである。
現在の標準語は明治初期に東京の言葉を元にしていろいろすり合わせて作った多分に人工的なものなので微妙なニュアンスを表現しきれないところがある。『複数の日本語』の著者は単語の形の変化が豊かな方言に比べて標準語は形態論的には貧弱だと云う。
日本語を世界のさまざまな言語と比較する時、今まではもっぱら標準語に還元された日本語をもとにしていたから、方言に見られる世界の言語との共通性が切り捨てられてしまっていたのである。


非常に示唆に富む興味深い本である。


(追記)
エヴィデンシャリティーに似た概念は標準語にもあるかもしれない。
たとえば、「私は悲しい」とは言うが「彼は悲しい」とは普通は言わない。彼の心の裡のような他人からは分らないことを表すには「彼は悲しがっている」とか「彼は悲しそうだ」と言う。自分で分ることと分らないことを言い分けている。
英語だとこれを区別しないで、“I am sad”、“He is sad”という。