中村とうよう氏の「遺書」

先月21日に自殺した音楽評論家中村とうよう氏(享年79歳)の「遺書」として最後の「とうようズトーク」が掲載されるという『ミュージック・マガジン』2011年9月号(通巻586号)を買った。
この雑誌を買うのは約20年ぶりである。私がはじめて買った『ミュージック・マガジン』は1982年2月号(通巻169号)であった。今その号を読み返すとどうってこともないが、当時洋楽に興味が出はじめたばかりの子供だった私にはえらく難しいことばかり書いてあり、でもそれが未知の音楽の響きを伝えてくるようでドキドキしながら読んだものだった。それ以来、1990年代の初めまで気になるテーマの号は時々買っていた。別冊や姉妹誌(『レコード・コレクターズ』『ノイズ』など)を買うこともあった。中村とうよう氏の著書も何冊か読んだ。いずれも興味深いものであった。
自分がラテン音楽を聴くようになったのも中村とうよう氏の影響が大きかったと思う。


さて、「とうようズトーク」の最終回はどんな「遺書」なのだろうか、ひょっとしたら陰鬱きわまりないことが綴られているのではなかろうかと、覚悟してページを開くと、深刻な文面ではなく、あっけらかんとするほど飄々としていた。辛辣な批評家で一種毒舌が売りだった人とは別人のようだ。
いま一人暮らしのとうよう氏でも、このままどんどん老衰していけばいずれ誰かの世話にならなければならなくなるかもしれず、そうなって生き続けるのも嫌だから、まだ元気なうちに自分で人生を終えよう、ということであったらしい。そう覚悟ができるほど、やりたいことをやって楽しい人生だったからもういいや、と決めたようだ。
実際は、もっと深い悩みがあったのかもしれないし(下記引用文中に何となくそれを窺わせなくもない)、そんなことを思うこと自体がどこかおかしくなっている証拠だから、もっと早く友人知人が気づいて救いの手を差し伸べるべきだった、と言えなくもないが、達観して自分で人生の幕引きができるのもまた生き方の一つとしてあってもいいのではないかと私は思った。


飛び降り自殺した日の夜、親しい人の元に届いた遺書には
「人生に絶望して自死を選ぶ、といったものではありません。まだまだやらねばならない仕事がいっぱいあるのに、それらが実現するまでに要する時間のあまりの長さが予想されるので、短気な私はもう既にウンザリしてしまっており、それで自死を選ぶことにしたんです」
とあったという。


最後の「とうようズトーク」は、7月アフリカに南スーダンという新しい国ができたことに触れスーダンの音楽の回想のあと、話が変わって、07年5月号には少子高齢化の時代に過疎の田舎の老人はもうどこかに集まって住むようにするしかないしその運命を拒む老人のエゴイズムは不可能だ、老人として身の処し方は考えてます、と書いたっけと振り返り、最後はこう結ばれていた。

 そしてぼくは今や79歳の老人。やっぱり老人の生き方の問題って人それぞれで、一般論で語れる部分ばかりじゃないんですね。
ムサビにレコードや資料や楽器を渡しても、ムサビにはムサビの問題があり、それがぼくの問題ととうまく整合するケースばかりじゃない。ではそれをどう解決するか。ぼくは自分の生命の問題として解決する道を選ぶことにした。これってわがままですよね。
(中略)
 でも自分ではっきりと言えますよ。ぼくの人生は楽しかった、ってね。この歳までやれるだけのことはやり尽くしたし、もう思い残すことはありません。最後の夜が雨になってしまったのがちょっと残念だけど、でもあたりにハネ飛ぶ汚物を洗い流してくれるんじゃないかって、思ってます。実はこのマンションを買ったとき、飛び降りるには格好の形をしてると思ったんですよ。
 という訳なので、読者の皆さん、さようなら。中村とうようというヘンな奴がいたことを、ときどき思い出してください。


さようなら、とうようさん。一生忘れません。