音楽評論家中村とうよう氏死去

音楽評論家の中村とうようさん、自宅から飛び降り自殺か


2011年7月21日18時45分


 21日午前10時15分ごろ、東京都立川市柴崎町2丁目の10階建てマンションの敷地内で、8階に住む音楽評論家の中村とうよう(本名・東洋)さん(79)が頭から血を流して倒れているのが見つかった。中村さんは市内の病院に運ばれたが、まもなく死亡した。警視庁は自宅の腰高窓から飛び降り自殺をしたとみている。

 立川署によると、中村さんは一人暮らし。署員が駆けつけた時、自宅玄関には鍵がかかり、室内に自殺をほのめかすメモがあったという。

 中村さんは「ミュージック・マガジン」の元代表取締役で、武蔵野美術大の客員研究員を務めていた。

 21日に複数の知人に「それではみなさん、さようなら」などと書かれた手紙が届いた。

朝日新聞


@pulin_gkd
御光堂
中村とうよう氏自殺? 遺書があったという。世の中に絶望したのだろうか? ここ数年は「政治的立場」に揺れがみられたが。。。http://t.co/D9nGhcH
22時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
中村とうよう氏がお気に入りだったクロンチョンやダンドゥットといったインドネシアのポピュラー音楽は、私は聴いてみても??であまりピンと来なかった。
21時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
中村とうよう氏はプログレ大嫌いで、ミュージックマガジン系はプログレには概して冷淡だったのも印象深かった。
21時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
『大衆音楽の真実』でも中村とうよう氏はキリスト教クラシック音楽に憎悪を剥き出しにしていたのが印象的だった。
21時間前 webから


@g_kinoko
きのぴぃえんど
中村とうよう0点」の歴史 : http://gyogyo.seesaa.net/article/162564024.html >YO! BUM ラッシュ・ザ・ショウ/パブリック・エネミー >こんなものを面白がっていては黒人音楽の衰亡は加速され、とりかえしのつかぬ破滅を来す。まさにラップは黒人民族の敵だ。一刻も早く撲滅しよう
21時間前 Keitai Webから


@pulin_gkd
御光堂
中村とうようはヒップホップ嫌いでもラップが登場した頃はミュージックマガジンで好意的に取り上げていたが、喋るような歌い方を黒人音楽の伝統の流れとの評価の仕方だったから、ヒップホップのターンテーブルを駆使したDJ的クラブミュージック的な音作りの真価にはそこでは気付いていなかった。
21時間前 webから


@biwaud
biwaud
要するに音楽の根底に「歌謡」の魅力を期待する、という感覚の人だったのだろうと思う。だからしばしばとうようさんの高評価・満点アーティスト/アルバムに対して自分的には無感動な場合もあり、ユッスー・ンドゥールなどは惹かれることはなかった。
20時間前 ついっぷる/twippleから


@biwaud
biwaud
ラップ同様、ワシントンGo−Goのトラブル・ファンクにも低評価で、「無理矢理空元気を出してる」と酷評していたが、自分はこれまた大好きなグループだったので笑ってしまった。やっぱり「歌謡性の乏しさ」がラップと共通していたのだろうと今は思う。
20時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
中村とうよう氏が高評価したアフリカ勢のうちでも、ユッスー・ンドゥール、サリフケイタ、マハラティーニなど強靭な歌声にこそ魅力があるタイプよりも、フランコTPOKジャズとかフェラ・クティのような執拗な反復演奏で盛上げていくタイプの方が私も好きだった。
20時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
フールズメイト』を創刊した北村昌士氏は『フールズメイト』がビジュアル専門誌化する以前に雑誌から離れ自らの音楽活動にうちこんでいったが、北村氏自身の耽美的なルックスがビジュアル系のルーツとなったという何か皮肉な結果に。北村氏は2006年に50歳で急死。
19時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
中村とうようがコンサートに行って演奏者(高橋悠治)が気に入らなかったから大声で野次を飛ばしたと武勇伝ぽく書いていたっけ。
19時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
中村とうようが「小泉改革」を支持していたのは、エライ学者文化人なんかのご高説よりも大衆の嗅覚は本能的にホンモノを見抜く、という観念があって、大衆に受けが良かった小泉の支持に向ったのかもしれない。「大衆音楽」が核心にあった人だから。
9時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
中村とうよう氏はプログレが嫌いだったしミュージックマガジンプログレには冷淡だったが、その中で山岸伸一氏がヨーロッパのロックやトラッド音楽を積極的に紹介していた。プログレとしてのユーロロックというより、英米主流ロックに対するヨーロッパ独自のロックへの、ワールドミュージック的視点。
6時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
中村とうようは、悪夢/サイキックTVは (これだけぼくの嫌いな要素ばかりまとめ上げたようなのも珍しい : http://gyogyo.seesaa.net/article/162564024.html と酷評だが、スロッビングリッスル『20ジャズファンクグレイツ』には「西洋音楽の歴史の中でも最も革命的なもの」と大絶賛している。→
3時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
@pulin_gkd →サイキックTVはスロッビングリッスルのフロントマン、ジェネシス・P・オリッジがスロッビングリッスル解散後新たに結成したバンドであり、一種のカルト教団でもあった。同時期の『フールズメイト』ではジェネシス・PもサイキックTVも一貫して大プッシュされていた。
3時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
@pulin_gkd 私はサイキックTVについては未聴だから何とも云えないが、スロッビングリッスル『20ジャズファンクグレイツ』は全然ポップじゃないスカスカのテクノポップ風音楽にしか聞こえない。1980年前後はこれが革命的に感じられた?
3時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
フールズメイト』を創刊した北村昌士氏は『フールズメイト』がビジュアル専門誌化する以前に雑誌から離れ自らの音楽活動にうちこんでいったが、北村氏自身の耽美的なルックスがビジュアル系のルーツとなったという何か皮肉な結果に。北村氏は2006年に51歳で急死。
19時間前 webから


@pulin_gkd
御光堂
中村とうよう氏死去にはレコスケ・レコゾウ・レコガール達も涙しているであろう。合掌。
21時間前 webから


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