以前の引用文中に『風俗奇譚』という雑誌が出てきましたが、これがその雑誌の昭和43年5月号です。
この系統の変態雑誌では先発の『奇譚クラブ』の方が名高かったようです。どんな分野においてもだいたい二誌ぐらいは雑誌が出ているものだと分ります。(先発の成功を見て後発が追いかける形で)
で、この雑誌がどうした、の話は今日は疲れているからおいてひとまず表紙だけ。
さて、中身が何かというと、目次はこうです。
SMがメインで、その他、女相撲、女切腹、女装、ホモなどの話題があります。「変態」ジャンルの総合誌です。
おどろおどろしい感もありますが、昭和40年代のことだから内容はまだそれほどの過激さはありません。
表紙にもある「褌で酷使された無宿者」とは、徳川時代の佐渡金山の概略とそこで水替え人足として送り込まれた無宿者が強制労働で酷使されていた話が淡々と述べられているエッセイで、特にえげつない内容ではありません。
そして、当記事の「褌兄貴」とは、雑誌巻末の読者投稿欄にあるこの方のことです。引用した文章は長々と書いてありますがつまりは友達募集で、特に明示してはいなくても要するに「ホモ仲間」を求めているのでしょう。
この文章を読むと、(やや作っている気もするけど)鉄火伝法で鯔背な短髪和風兄貴が浮かび上がってきます。昭和43年にはそんな若い人はもはや少なくなっていたようです。
この方のペンネーム「六尺生」とは、「ろくしゃくなま」ではなく「ろくしゃくせい」で、「生」は名前のあとに添える接尾辞です。
この方もこの頃30ちょっとだとすると現在は70代のご老人ですね。お元気でしょうか。
▼エリート六尺党のかたヘ
昨年暮れに、小生は転居した。編集子から、注意を受け、始めてまだ見ぬ諸兄からのおたよりが整理されたことを知った。ひとえにおわびします。いずれ下町育ちの小生には人見知りをしない気やすさと開放性があるにせよ、ちょっとうぬぼれさせてもらえば、うずもれたおたよりの中には真の知友となるべきかたがたがいたのではないかと後悔のほぞをかむ思いがします。
ゲタやサンダルばきでおくめんもなく行き来のできる下町の軒のかなたに、四季とりどりの蒼空や雪空がながめられる平和なくつろぎ、にぎやかな人々との接触、どこか遠出のおりには必ず隣人や懇意のむきむきに手みやげの一つも持っ帰る日々の生活。小生、風呂の行き帰りにぴっちり肌にくいこむ七分仕立ての白のももひき、木場のおやじ連中からもらった出役(でやく)のはんてんを古びたので七分そでの鉄火シャツにして、ひょいとひっかけて出掛ける。もちろん、今ごろ風呂屋で、いい若者が六尺にサラシの腹巻きをしているなんてことは薬にしたくも見られないが、おれも三十歳を出て、生白いヤニッ気がとれたせいか、誰も見とがめはしないし、全くもって、知ってか知らずか、「かしら」とか、「あにさん」とか言って、背中を流してくれる見知らぬ、老若の人に内心額の赤らみを感じるが、材木屋のせがれに生れ、東京のドマン中で育った小生、この筋にもちょいとゆかりがあるとすれば、ウソにはならないし、唐桟(とうざん)やしまの紬(つむぎ)など、おれなりに選んだ着流し姿も、神田万世橋ぎわの有名な「やぶ」というそば屋の近くに、江戸古来の駄菓子を売るかみさんから、「よく似合うね、今ごろ、そういう着こなしは誰にもできるしろものじゃないよ」と言われてうれしくないはずはない。近くの鳶頭(とびがしら)から「着物を着るときゃ、六尺にしなよ」と言われ、(てやんでえ、先刻承知だ)と内心ほくそえむ?外国にでも行かぬ限り、おれは一生、犢鼻褌(ふんどし)またの名を窮屈袋(昔の人はうまいことを言うね)を肌から離さないつもりだ。
若い人ならアナクロニズムだなんて言われかねないが、けっこう、骨董品をあさっている高校生や大学生も見かけるぜ! おれの血は日本人、褌が男の下着で悪いとか、格好よくねエなぞ、テンから考えたこともない。浮世絵のアノ方面のヤツ、希少本など、お持ちのかた、ぜひ払見させてください。下着や身なりばかりが、おれの江戸趣味だけじゃない。
また、かつてなだべりで、とまどうかたがたもおありだろうが、少なくとも、小生の処世(くらし)のありように賛意を持たれるかた、会ってお話をしたい。「助六」の文句じゃないが、お互いに「ヤボも、もまれて粋(すい)となる」ということ。
この間、ラスベガスくんだりまでご外遊になって「やはり日本はいいねえ」などと抜かしたやつがいた。この投稿が出るころは、ポカポカの陽気だろうが浅草寺の堂宇、七万二千枚の瓦を一夜にしておおった降雪の朝「江戸」がここにあったと、おれはつくづく生きている喜びを感じた。
浅草風土記を書いた久保田万太郎先生、あなたの風土記の一字一句がおれの生きがい(このところ独白を入れさせてもらいヤス)。 (東京・六尺生)