説明責任という言い方の真意

政治家などの地位がある人に何か疑惑や不祥事があったときに、釈明会見などをしても、説明責任を果たしていないというふうにいわれる。説明責任とは何か、どうすれば説明責任を果たしたことになるのか。何を求めているのか。思うに、説明責任を果たすとは、理路整然と懇切丁寧に説明することではないのだろう。そんなことをしても詭弁だとか言われて余計説明責任を果たしてないとされるだろう。すなわち説明責任とは謝れということなのだ。ひたすら恐縮した態度で、私が悪うございました、申し訳ありませんお詫びします、と何度も頭を下げる、そして現在の地位を退くくらいのこともする、そこでようやく説明責任が(少しは)果たされたとする。説明責任と言いながら実際求められているのは説明ではなく謝罪と謹慎、それがこの言葉の使われ方をややこしくしているのだ。