さきに天皇民営化という考えを書いてみたことに寄せて、そもそも天皇はなぜ天皇なのだろうか?
憲法で天皇は日本国及び日本国民統合の象徴と規定されていても、そもそもなぜ象徴が天皇でなければならないのか? 天皇とは何か? 天皇そのものの法的根拠、天皇が日本の「君主」であることの法的根拠、天皇家とは? これらの法的根拠は何もない。天皇は憲法以前から既に天皇であり「君主」であることが前提となっている。これは民主的な法治国家としてよく考えればおかしなことである。「君主制」とはそういうものだ、では、王権神授説と変わらない。神話的根拠はもとより論外、古代に実力で日本を統一支配した大王の家系だからというのも無理がある。だからといって天皇の地位は法的に無効であると裁判に訴えたところで退けられるだけであろう。しかし、これはもっと検討すべき問題である。
同様に、日本という国号、国の言語として日本語東京方言を使うことの法的根拠もない。定めることもない前提として当然視されている。しかしこれも検討し直してみる必要があるのではないか?
国旗国歌元号等は法制化されているのだから、もっと根源的な天皇、国号、国語の問題も明確にする必要があろう。
さらに、たとえば東京という地名も、当時の江戸市民には何の同意も得ず、明治新政府が勝手に東京と改称したものであり、正統性という点では問題がある。
当然と思われていたことに疑問を呈するのも無意味ではない。
(追記)
この疑問を解決するため、天皇を「公理」として認めてしまうということを思いついた。天皇の根拠なんて考えなくて構わない、天皇は天皇であり「君主」であることが論証不能の「公理」であると認めることで、日本国という「定理」(すなわち制度)が成り立っているのだとするのである。要するに一種の逃げである。