選択肢は多すぎてもダメ

選択肢が多いのはいいようにも思えるが、多ければいいわけでもない。テストなどでは選択肢が五つ程度なのは理にかなっている。これが選択肢が十も二十もあったらむしろ困る。
もちろん、テストなどでは、選択肢の中に必ず正解があるし、提示されていない選択肢もないから、分らなくて選んでもまぐれ当たりすることもあるが、人生の選択肢では、自分が見えている選択肢が正解とは限らないし、見えていない選択肢もあるかもしれない。正解はどこにもないかもしれない。
つまりこんな場合は、何かを選択したことは動かせない事実と置いて、そこから切り開いていくべきであり、それから何か失敗が起こった原因を最初の選択の時点に求めてしまっては、取り返しがつかない誤りと見做せば、もう後にも先にも進めなくなる。
現在、社会の自由度が増して何でも選べる何でもできると思っているうちに、実際はできるようでもできなくてかえって不自由になっているのではないか。何でも自由に選べる建前がかえって重荷にさえなっている。だから、見つからない答を探し求めていつまでも悩み迷い続けることにもなる。そして、結局何もできない。
適切に「正しい」選択が行えるシステムが確立できるならそれにこしたことはないが、何が「正しい」か分らないならば、妥協して選択する、選択したこと、これを現実として基礎に据えなければ、結局は何事も進まない。
こんなときには、正解を選択するのではなく、選択したものごとを正解に持っていくようにしよう。


選択肢が多すぎる弊害のちょっとした例では、冠婚葬祭の引き出物は今は現物で渡すよりも商品カタログを渡してこの中からお好きなものを選んで注文して下さいというのが多くなってきている(カタログギフト)。でも、カタログには多種多様な品物が載ってはいても、どれも特に欲しいわけでもないなと選ぶのが億劫になっているうちに申し込み期限を過ぎてしまったとか、面倒だから適当に選んでしまったとか、そんなことがあったりすると、結局引き出物のありがたさは何もなくなってしまう。これもまた、選択肢が多くて自由であっても、一方的にあてがわれるよりももっとつまらなくなる例と言えようか。


追記
どれも大して代わり映えもしない魅力を感じさせない選択肢ばかりがダラダラとたくさんある状態が最悪なんだと思う。