国民性と言語という話は結局堂々巡り

日本人はこういう国民性だから日本語にはこういう特徴がある、という話は言語決定論的に裏返せば、日本語はこういう特徴を持つから日本人はこういう国民性なのだ、とも言えて堂々巡りになる。
だから、言語について考える時、国民性といった実在するかどうか分らない要素は、あまり考えない方がいいと思う。