日本語の自動詞と他動詞の区別のパターン
日本語動詞で自動詞と他動詞が対になるもののパターン中には、「語幹-u」で自動詞を表し、「語幹-eru」で他動詞を表すものと、その逆の、「語幹-eru」で自動詞、「語幹-u」で他動詞を表すものがあります。この場合の「語幹」とは、「あく(ak-u)」と「あける(ak-eru)」の「ak」のように、両方に共通する不変の部分とします。
それぞれ次のような動詞があります。
表1. 「語幹-u」が自動詞、「語幹-eru」が他動詞
自動詞 | 他動詞 |
---|---|
あからむ(赤らむ) | あからめる(赤らめる) |
あく(開く) | あける(開ける) |
(は)いる(入る) | いれる(入れる) |
うかぶ(浮かぶ) | うかべる(浮かべる) |
かたむく(傾く) | かたむける(傾ける) |
かなう(叶う) | かなえる(叶える) |
からむ(絡む) | からめる(絡める) |
くるしむ(苦しむ) | くるしめる(苦しめる) |
しずむ(沈む) | しずめる(沈める) |
しりぞく(退く) | しりぞける(退ける) |
すくむ(竦む) | すくめる(竦める) |
すすむ(進む) | すすめる(進める) |
そだつ(育つ) | そだてる(育てる) |
そろう(揃う) | そろえる(揃える) |
たつ(立つ) | たてる(立てる) |
ちがう(違う) | ちがえる(違える) |
ちぢむ(縮む) | ちぢめる(縮める) |
つく(付く) | つける(付ける) |
とどく(届く) | とどける(届ける) |
むく(向く) | むける(向ける) |
やむ(止む) | やめる(止める) |
ゆがむ(歪む) | ゆがめる(歪める) |
ゆるむ(緩む) | ゆるめる(緩める) |
表2. 「語幹-eru」が自動詞、「語幹-u」が他動詞
自動詞 | 他動詞 |
---|---|
おれる(折れる) | おる(折る) |
きれる(切れる) | きる(切る) |
くだける(砕ける) | くだく(砕く) |
さける(裂ける) | さく(裂く) |
とける(溶ける・解ける) | とく(溶く・解く) |
とれる(取れる) | とる(取る) |
ぬける(抜ける) | ぬく(抜く) |
ねじれる(捩れる) | ねじる(捩じる) |
はげる(剥げる) | はぐ(剥ぐ) |
はじける(弾ける) | はじく(弾く) |
むける(剥ける) | むく(剥く) |
やける(焼ける) | やく(焼く) |
やぶれる(破れる) | やぶる(破る) |
われる(割れる) | わる(割る) |
活用でいうと、「語幹-u」が五段活用、「語幹-eru」が一段活用となります。
比べてみると、「語幹-u」で自動詞を表し、「語幹-eru」で他動詞を表すのと、その逆のでは、どうしてそのパターンになるのか意味から決まっているかどうかは判然としませんが、「語幹-u」の方が基本形で、「語幹-eru」の方が派生形ではないかという直観は働きます。しかし、実際のところはよくわかりません。
自動詞と他動詞の区別では、他に、「埋まる」「埋める」「止まる」「止める」などの「語幹-aru」と「語幹-eru」の対立タイプ(数としては一番多い)、「冷める」「冷ます」「出る」「出す」などの「語幹-eru」と「語幹-asu」の対立タイプ、「現れる」「現す」「壊れる」「壊す」などの「語幹-reru」と「語幹-su」の対立タイプなど様々なものがあります。
必ず五段動詞と一段動詞の対立になるというわけでもなく、「移る」「移す」「通る」「通す」などの「語幹-ru」「語幹-su」の対立タイプや、「動く」「動かす」「飛ぶ」「飛ばす」などの「語幹-u」「語幹-asu」の対立タイプはどちらも五段動詞になります。
「ひらく(開く)」のように自動詞と他動詞が同形のものもあります。
意味による違いはよく分からないと言いましたが、「海に船を浮かべる」「床下に小判を埋める」のように「〜に〜を〜する」という構文になる動詞は、「語幹-eru」が他動詞というタイプになるという傾向はありそうです。また表2を見て分るように、「語幹-eru」が自動詞、「語幹-u」が他動詞のケースは、対象が(を)傷つく方に変化する(させる)意味の動詞が主なようです。
(追記)
日本語の自動詞と他動詞の対応表参照
(追記2)
日本語の自動詞と他動詞の対応はパターンに分けようとしてもパターン自体の数も多くなり、はっきりした規則性にも乏しいので、日本語母語話者以外が日本語を習得しようとする時の難関になると考えられます。
(追記3)
日本語動詞の語幹については、子音語幹動詞(五段動詞)(「歩く」(aruk-u))、母音語幹動詞(一段動詞)(「食べる」(tabe-ru))のような区別もありますが、自動詞と他動詞の対応の場合は両方に共通する語幹がより本質的なのではないかと思われます。