思い出

以前も少し考察したことがあるが、自分の人生において、記憶をいくら遡っていっても、良い思い出や楽しかった思い出が、何一つ思い出せない。
別に、楽しいと思ったことが一度もなかったわけではなく、楽しい思い出として記憶されることがなかっただけだろう。思い出として残るほどの良いことも楽しいこともなかった、というのが正確かもしれないし、私もささやかなことで喜んだり楽しんだりしないわけでもないが、それが楽しいこととして記憶されていかず、記憶に残っても無味乾燥の出来事として残るだけである。
だから、自分自身においては、昔は良かったとも将来が良くなるだろうとも考えることができず、常に不定な現在しかない。
結局、生得的およびそれを強化する環境によってはぐくまれた虚無主義が自分の骨肉となっているのである。
私には感情にこのようなロボット的な部分があるから対人関係において不自然な演技をしなければならなかったりする。