日本における本格的西洋建築の存在意義


東京都内にあるこの建物は明治時代に財閥の邸宅として建てられ、西洋の伝統様式が本格的な名建築として知られています。でも、こういう建物の存在意義ってなんでしょう? 
本格的であればあるほど、かえって日本には居所がなくはないか。それでは、西洋に持っていったらどうでしょうか。それも、日本では名建築でも、西洋では沢山あるうちの一つ、平均レベルの存在でしかないでしょう。つまり日本にも西洋にもいるべきところはない。
建物は建物として価値がある、としても、逆を考えてみたらどうでしょう。
西洋で日本の伝統建築を建てたら、お堂でも、五重塔でも、茶室でも、書院造でも、お城でも、どうか? 本格的に作られていても、本格的であればあるほど、特に日本人にとっては、かえって白けてしまうと思います。
この建物も同じです。
こんな建物があってもいいけど、存在意義はあまりない。存在意義がなくても価値を認められている分だけは幸せです。


また、例えば明治村とか、たてもの園に行っても西洋人はたいして面白くないでしょう。そこにあるのは彼らにすればある種の「まがい物」にすぎない。上記のたとえだと、欧米に、日本の伝統建築を再現した「日本村」があったとして、日本人が行って面白いかってことです。

日本文化は外来のものをどんどん摂取して固有の文化に作り替えていく性質があるという見方ができるとしてもなおのこと、そう思います。


(追記)
戦前の東京や大阪の大都会は重厚な西洋建築が建ち並び、現代よりもずっと西洋風の街並みで、現代人がそんな過去の街に戻ったらまるでヨーロッパの街に来たかのような感覚をおぼえるかもしれませんが、当時はそんな街並みが国際標準の都市だっただけのことで、そこへのノスタルジー感覚もある種の現代的錯覚でしょう。
戦後、日本の都市が「西洋の街」じゃなくなったのは、戦後の復興に当たっても、それまでの「西洋の街」もしょせん明治以降の借り物に過ぎなかったので、過剰な予算をかけてまで「重厚な西洋っぽい街並」「重厚な西洋建築」を維持していく動機が乏しく、簡素で無機質な現代ビルの建ち並ぶ戦後の街並になっていったからです。
空襲で焼け残った洋風のビルも、高度成長期以降にどんどん戦後のビルに建て替えられ、バブル崩壊の頃には僅かしか残っていなったから、戦前のビルが希少価値と認識されるようになったのです。