自動車依存社会の終焉を目指して—1. 自動車の危険(鉄道との比較)

現代日本は自動車が幅を利かし自動車に取り憑かれている自動車依存社会である。


自動車依存社会がもたらす害毒には、交通事故、騒音や振動、排気ガスなどの公害、都市や地方の生活環境や文化の悪化などさまざまなものがある。
ここではまず交通事故の問題を取り上げてみる。


データについては下記を参照。
交通事故に関するデータ


交通事故の死者数については、昭和45年(1970年)の16765人を最大のピークとし、二番目のピーク平成4年(1992年)の11451人迎えてから減少に向い、この10年はずっと減少を続けている。平成12年(2000年)には9066人だった交通事故死者は平成22年(2010年)には4863人にまで減った。
交通事故死者数は10年で半数近くにまで減ったわけである。これは2000年代に入ってからの、交通犯罪の厳罰化、すなわち、危険運転致死傷罪(2001年)、自動車運転過失致死傷罪(2007年)、飲酒運転の厳罰化・取り締まり強化の効果、またシートベルト着用の徹底やエアバッグの普及、自動車構造が衝突安全性(特に対人)を重視した作りになってきた効果もあるだろう。

では、交通事故の件数や負傷者数はどうだろうか。
交通事故の件数は戦後一貫して増え続け、平成16年(2004年)の95万2191件をピークにようやく減少を始め平成22年には72万5773件にまで減った。
負傷者数は増減しながらも増え続け、近年では1977年の59万3211人を谷に平成16年(2004年)の118万3120人まで増えていき、ようやくそこから減少に転じ平成22年(2010年)には89万6208人まで減った。
特に重傷者数では、データでは昭和45年(1970年)の12万6715人を最大として、1980年代からずっと7万〜8万人の範囲で推移し、近年のピークは平成12年(2010年)の80104人であり、そこから減少に転じ平成22年(2010年)には51528人まで減った。
事故件数や負傷者数・重傷者数についても近年はひとまず減少傾向になっているわけである。
これも交通犯罪の厳罰化、ピークから減少に転じるあたりの年度からみても特に飲酒運転が厳しく処断されるようになった効果が大なのではないかと思う。


では、交通事故死傷者数が減少しているからと安心していられるのだろうか。


交通事故のデータと比較するために鉄道事故のデータと比べてみよう。

鉄道事故については、時に大きな事故(2005年のJR福知山線脱線事故など)が発生した年は死傷者数が一気に増えるが、長期的にはずっと減少傾向であり、死亡者数はここ10年は300人台前半で推移、事故件数も800件台で推移、負傷者数も300〜400人台である。(鉄道事故の重傷者数データについては現在のところ不明)

事故件数、死傷者数についてみれば、鉄道は自動車よりもはるかに安全であるといえるだろう。


もう少し詳しく検討してみよう。
平成21年度(2009年度)の自動車の旅客輸送量(つまり何人の人間が自動車で運ばれたか)は66600×100万人である。
一方、平成21年度(2009年度)の鉄道旅客数量(つまり何人の人間が鉄道で運ばれたか)は22724×100万人である。

ここから、自動車、鉄道それぞれの輸送力に対する事故数・死傷者数を求めてみる。

平成21年度のデータにより年間輸送力100万人あたりの事故件数と死傷者数を求めると以下のようになる。(輸送距離は単純比較できないと思われるのでここでは勘定に入れていない)

事故件数 死者数 負傷者数 重傷者数
自動車 11.07 0.07 13.68 0.81
鉄道 0.04 0.01 0.02


そしてここから逆にこの場合の自動車で行われていた人間の輸送が全て鉄道で行われていたとしたら被害はどれほどであったかも求めることができる。

平成21年の自動車事故件数(A)と、輸送が全て鉄道で置き換えられていたら被害はどうなっていたか(B)は、次のようになる。

事故件数 死者数 負傷者数 重傷者数
A 自動車 737474 4914 911108 53695
B 鉄道に置き換えられた場合 2664 666 1332


自動車で行われていた輸送が全て鉄道に置き換わると事故の被害の実数も大幅に少なくなるわけである。
(自動車・鉄道とも人間・貨物を運ぶものであるがここでは人間の輸送力という切り口で抽象化した目安である)


これをみてもやはり自動車が鉄道と比べてはるかに危険な乗り物であることが分る。危険という負の効率が高すぎるのである。
そして、この危険さは自動車につきまとう本質的な危険さであって、どうがんばっても現状の自動車および道路の状況が鉄道並に安全になることがないのも分る。
人が通っている道を高速で走る自動車は、人の立ち入ることのない専用の軌道を走る鉄道と比べ物にならないほど危険である。自動車専用の高速道路でのスピードゆえの危険はいうまでもない。
鉄道を運転するのは高度な技術と責任をもった専門家であるのに対し、一般的な自動車運転者にはそれは期待できない。
死傷者数が減少傾向になろうが自動車が多大な犠牲者を生む危険きわまりない交通システムであることに変わりはない。


このように事故という面からみてもあまりにも危険が大きく、つまりそれだけ非人間的な乗り物である自動車を、使い続けていてよいものなのであろうか?
自動車依存社会から、より安全な交通システム中心の社会へ、車社会から人間中心社会社会へ移行していく必要がある。



(補足1)
交通事故の死者は、事故発生後24時間以内に死亡した場合を死者として数えることになっている。事故発生後30日以内に死亡した場合を含めると30日以内死者というカテゴリーになる。
平成22年(2010年)の30日以内死者は5745人である。30日を過ぎて死亡した場合はもはや統計としては表されない。


(補足2)
交通事故の死者数に占める割合は歩行者が最も多く35.2%(平成22年)、自動車搭乗中は32.9%(同)。被害程度が深刻になるほど歩行者の占める割合が高くなっている。


(補足3)
鉄道事故の死者には原因が自殺であるものは含めないことになっている。


(補足4)
ちなみに、殺人事件での犠牲者数は年々減少傾向にあり、2006年以降は、年間400〜500人台の間で推移している。



(このあと、多少便利ではあっても害毒が大きい自動車という乗り物が幅を利かす自動車中心社会・自動車依存社会になってしまっているのはなぜか? という問題に続く。あるいは、自動車は近代社会の市民的自由と権利を脅かしているという話)


自動車依存社会の終焉を目指して—2. 交通犯罪がきわめて寛刑である現状