小沢氏、強制起訴へ 検察審査会2度目は「起訴議決」
2010年10月4日15時41分
小沢一郎・元民主党代表の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、東京第五検察審査会は、小沢氏を2004、05年分の政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で強制的に起訴すべきだとする「起訴議決」をした。4日、公表した。裁判所が指定した弁護士が強制的に起訴する。市民の判断によって、政治家が起訴されるのは初めてのケースになる。議決日は9月14日。
審査の対象になっていたのは、04年10月に陸山会が小沢氏からの借入金で都内の土地を約3億5千万円で購入したのに、04年分の政治資金収支報告書に計上せず、05年分の収支報告書には関連団体からの寄付を装った虚偽の収入と土地代支出を記載したとされる容疑。
第五審査会は1度目の審査で4月に「起訴相当」と議決。再捜査した東京地検特捜部が5月に再び小沢氏を不起訴としたため、第五審査会が2度目の審査に入っていた。11人の審査員のうち8人以上が「強制起訴」に賛成したことになる。
07年分の容疑については、市民団体が04、05年分と別に審査会に申し立てたため、東京第一審査会が審査を担当。7月に「不起訴不当」の議決をしたが、特捜部が9月末に再び不起訴にしたため、小沢氏は起訴されないことが決まっている。
(朝日新聞)
ヨーロッパのキリスト教のいつごろの時代だったか(プロテスタント勃興期?)、聖書の難解な部分の解釈を文盲の一般庶民に乞うて回った聖職者がいたという話です。彼は、高位の聖職者よりも純朴な庶民こそが神の真意を分っていると考えたのです。(注)
現在の、市民参加とか市民感覚を取り入れるといって、これまで専門家が行ってきた専門性のある事柄の判断の一部にまで市民を参加させ、その市民の判断を尊重しようという考えは、かの聖職者の素朴な庶民信仰に通ずるものがあります。庶民・市民無謬論とでもいうべきか。
むろん実際はそんな単純に市民を信じているわけではなく、専門家は己の言わせたい意見を誘導尋問的に市民から引き出し、それを市民感覚は絶対なりとして押し通そうとする、恣意的な市民利用であります。
さすがに、自然科学の分野においては、たとえば研究や実験結果の解釈に無作為抽出した市民を参加させ判断させるようなことは、まだ行われていません。
(注)このエピソードの出典はいま分らないのですが、確認できたら追記します。