本覚思想が起こった背景を勝手に考えてみる

本覚思想とは、

天台本覚論
平安後期に始まり,中世に盛行した日本天台宗の現実や欲望を肯定的に捉える理論。本覚の解釈を拡大して,現実の世界や人間の心がそのまま真理であり,本覚そのものの姿であると説き,煩悩と菩提を同一のものとし,修行を軽視する傾向をもつ。天台本覚思想。
大辞林

という日本仏教思想上の考え方である。
これはすべての衆生は本来仏性を備えているとする如来蔵思想(→*1)を下敷きにしてさらに拡大解釈した思想である。この本覚思想(的な仏教解釈)は今に到るまで日本の仏教の中心的な考え方であるといってよい。
本覚思想は、草木にも岩石にも何にでも神が宿るとする日本の古来からのアニミズムと非常に親和性が高い思想であるから神仏習合と相まって盛行したとも考えられるが、その背景にはもっと俗っぽい理由があったのではないかとも思う。
本覚思想が起こった平安後期ごろから、まず浄土教の影響によって、天皇・皇族・上流貴族などの高貴な身分の人々の出家が相次ぎはじめた。そうなると受け入れ側(の比叡山)でも、高貴な人々を出家したからといって小僧の段階から厳しく修行させるわけにもいかず、高位の僧侶として遇さねばならなくなる。
そこで結局、その事態を正当化するため、人間のありのままで即ち覚りであるから修行はもはや重要でないとする考え方が本覚思想として現われてきたのではなかろうか。
本覚思想が求められた背景にはこうしたひどく俗っぽい必要性があったと考えられる。


(*1)
如来蔵思想はインド仏教においてはずっと傍流であったが中国や日本の仏教では重視された。人に仏性があらかじめ宿っているというのは、永遠不変の霊魂のような実体は存在しないという仏教の根本的な考え(諸法無我諸行無常)と矛盾することになりかねない、きわどい考えであるから、もともとのインド仏教では主流になりえなかった。仏教以前のインドの伝統思想では、「仏性」とは違うが人の中には不滅の霊魂のような本質的な実体(=「我」)があると考えられていた。バラモン教からヒンズー教までずっとその考え方に立っている。仏教はあえてそれを否定したのであった。これが諸法無我である。だからまたそれをひっくり返してしまうような如来蔵思想は主流にならなかったが、東アジアでの仏教受容においてはそうした思想史的葛藤とは無縁だったので如来蔵思想もすんなりと受け入れられたのである。むしろそれが現実肯定の土着的なものに結びつきやすかったわけである。
インドの伝統思想上からは仏教はずっと異端であり、結局インドでの仏教は滅びた。如来蔵思想や、密教化してインド伝統思想に回帰していく方向の仏教も、仏教としてのオリジナリティがなくなっていく過程であった。