企業が神対応とかいって喜んでいる底の浅い人々

任天堂、ディズニー、ジッポー…“神サポ”“神対応”は本当か? 


8月21日20時11分配信 産経新聞


 「任天堂DSを修理に出すと無償で新品に交換してくれた」「ジッポーライターはどんなに古くても無償で修理してくれる」−。インターネット上には、企業のカスタマーサポート態勢の素晴らしさについての“うわさ”が広がっている。「神サポ」「神対応」(神様のようなお客さま対応)とも呼ばれ、まことしやかに語り継がれているサポートは真実なのだろうか。

 
 ■神サポといえば任天堂

 「神サポート」とネットで検索すると、真っ先に出てくるのが、ゲーム会社「任天堂」(京都市)の対応だ。ネット上では任天堂のカスタマーサポートの良さはもはや定説になっている。

 「交通事故にあった少年のゲームボーイが無償で修理された。そのゲームボーイには、ゲームボーイなどの開発に携わり後に交通事故死した●●氏(本文実名)からと思われる『○○君へ、車には気をつけてね。●●』と書かれた手紙が同封されていた」

 「シールがペタペタと張られ、塗装もはげたニンテンドーDSを修理に出したところ、無償で新品交換されたにもかかわらず、シールが元の位置に張られていた」

 このような事例は枚挙にいとまがなく、「任天堂の神サポまとめ」サイトが立ち上げられるほどだ。

 ■世界中から問い合わせ

 しかし、任天堂広報にこうしたサポートは本当にあったのかを取材してみると、意外な反応が返ってきた。

 「世界中からネットのうわさの真偽の問い合わせが1日に何十件と来るが、1つのうわさの真偽を答えてしまうと、『これは本当ですか』『これはどうですか』ときりがなくなるので、答えられない。世界中で『井戸端会議』をしているようなものだ。良い対応をしているということを広めてもらうのは喜ばしいが、こちらからは何も言うことはない」

 良いうわさか悪いうわさかにかかわらず、一度コメントしてしまうと、すべてのうわさの真偽を答えてしまう必要が出てくるため、「ノーコメント」を貫いているようだ。

 「無償修理」のうわさについても、「保証期間が切れていれば、基本的には無償ではない」と、紋切り型の回答が返ってきた。

 ■ディズニーランドのキャスト

 「東京ディズニーランドで、ペットボトルの飲み口につけるストロー付きの人形の部品をなくしてしまった。ほんの小さな部品だが、ストローにふたをするものなのでないと使えなくて困るところだったが、遺失物センターで保管してくれていた」

 「キャスト」と呼ばれるスタッフの来場者への対応に定評がある東京ディズニーランドとディズニーシー。運営会社のオリエンタルランド広報(千葉県浦安市)に、落とし物対応について確認してみたところ、「年間2500万人が来場するので1件1件の対応の確認は難しいが、そういう対応をしたこともあったかもしれない」とのこと。

 同社によると、落とし物の対応はケース・バイ・ケースで、来場者から届けられる場合が多いのだという。

 また、生まれてまもなく子供を失った夫婦へのサービスの話も有名だ。

 「子供をディズニーランドに連れてくるのが夢だった夫婦は、ワールドバザールにあるイーストサイド・カフェへ。かわいいお子様ランチがあるが、8歳以下でないと注文することができない。スタッフに事情を話すと、こころよく注文を聞ききいれてくれた上に、『本日はよくきてくださいました。ご家族で楽しんでいってくださいね』と子供がそこにいるかのように対応した」

 この涙を誘う神サポについては、「ほかのレストランでもサービス業をやっているところならば、お客さまの心を酌んで同じように対応していると思う」と“謙虚”な回答が返ってきた。

 ■車にひかれたライターも「永久保証」

 「何年たっていても正規品のジッポーなら無償で修理してくれるらしい」

 ネット上には、ジッポー(米国)のライターのキャップと本体のちょうつがいが壊れたため、修理に出したところ、無償で修理してもらった人の体験談が多くある。修理されて戻ってきたライターには、消耗品の着火石も添えられていたとも。

 国内でジッポーの修理を行っている、ジッポーサーヴィス(愛知県一宮市)によると、ジッポー社では、1933年の創業以来、火をつけて、キャップをして火を消すという一連のライターの機能が故障した場合は、「永久保証」を行っており、「車にひかれて完全につぶれた場合でも代替品を送っている」という。ただ、火をつける機能以外、「本体のメッキがはがれた」「へこみができた」などについては保証外だという。

 同社では「ライターはストラップもないし、片手で扱うため落としやすい。しかも毎日使うものなので故障しやすい。企業の責任として創業者の意向で無償修理するようにしている。また、古い家具などを重宝する欧米の国民性もあるのではないか」と話した。

 ■企業信仰という“究極のブランド”

 同様に、1846年創業のボールペンなどの筆記具メーカー、クロス(米国)でも、機能保証を行っており、本体を回してもペン先が出てこないなど、筆記具として使えない場合は、永久保証を行っている。

 マーケティングコンサルタント西川りゅうじん氏は、神サポについて、「企業の対応の良さにつけこんで来る人が出てくると、神サポも企業のコスト要因になりかねない」としつつも、「誠実で迅速な対応をしてくれるということがブログなどで広まると、その企業への“信仰”や“信奉”ともいえる究極のブランドを得ることにつながる」と指摘した。


なのだそうだ。
でも、昭和後期ごろまでの、まだ盛んだったころの地域の個人商店や小規模営業では、時々ちょっとしたおまけをしてくれたり気を利かせた対応をしてくれたりするのは、サービスとしてむしろ普通だった。
それ以後、現代の都市化で人間関係が希薄になると、客はかえって店の人間味のある(見方によっては馴れ馴れしい)対応を鬱陶しがるようになっていった。それよりも、コンビニだとかチェーン店のそっけない決まり切った対応しかせず、ロボットのような対応、その方が良しという感覚になっていった。コンビニではいくら買おうがなじみ客になろうが決しておまけはしてくれない(バイト店員にはそんな権限がないからできない)。でも、都市現代人の感覚では、イレギュラーな対応をされるよりも、それがいいのだ。(注1)
そうであっても、何か味気ないな、という気持ちは残る。
そんな状況において、大企業が気を利かせた対応やサービスをしてくれた(という話を聞いた)りすると、驚いてすぐ感激してしまう。ここでの感激の対象は、店員とかの個人というよりも企業そのものであることがポイントである。個人単位の対応なら鬱陶しくても企業としてのなら良いという捉え方である。ある種の歪みを感じさせる。
そして、大企業というのは、客にはたまに「神対応」をして感激されたとしても、自分よりも弱い立場の取引相手や従業員には日常的に神対応を強いて、というか逆に神として奴隷対応を強いていることも多いので、単純な企業崇拝・企業信仰は甚だ底が浅いといわねばならない。


(注1)自分は以前こんなことを考えてみた

店員はあくまで店にいるロボットに過ぎないから、それを超えたことはするな、という考え
今、求められる接客