シュレディンガーの猫

簡単に言うと、量子は観測して状態を確定するまでは、確率的重なり合わせの状態にある。それは波動関数で表される。
状態が確定することを波動関数の収束と言う。
シュレディンガーの猫という思考実験は、密閉した箱の中に猫を入れておき、試料がある種の量子的に決まる状態になったら毒ガスが噴射され猫が死ぬ、というもので、箱の内部を観察するまでは、猫は生きている状態と死んでいる状態が重なり合わさって存在しているということになる。しかしこの生と死の重なり合わせ状態とはいったいどういうことなのか? パラドックスではないか。というもの。


(1)シュレディンガーの猫の実験台が人間ならば実験は成り立たないか?
(毒ガスを出すという物騒な方法でなく、何かの信号で状態を実験台に知らせるという装置にする)
その人間の観察で波動関数は収束する? ゆえに箱の中に重なり合わせ状態は存在しない?


(2)(1)で収束しないとしても、シュレディンガーの猫の実験をやっている実験室が密室だとして、その外にいる人間にとっては、実験室の中は開けて確かめてみるまではある種の確率的重なり状態といえるのではないか?
さらにそこも閉ざされた部屋でその外もあるような無限の入れ子構造になっていれば、どこまで行っても波動関数は収束しない?


(3)波動関数を収束させる観測とは何か?
それなりの「知性」を持った観測者でなければならないのか?
(1)の例で言えば、シュレディンガーの猫という実験の意義を理解している科学者が実験台なら、波動関数は収束し、そういうことをいっさい知らない人なら収束しない? つまり猫と同じだから。



以上メモ。


(追記)
シュレディンガーの猫」問題は、量子的なある過程が観測装置の一部と最初に接触した時点でその状態は確定しその後の猫の生死も確定することになり、ただ観測者は箱を空けてみるまでは猫の生死がわからないというだけのことで、中の猫の生死が重なり合った状態になっているわけではない、というのが主流の考え方のようである。