酒害を減らすために「飲酒許可」制度を導入しよう

近現代の悪習である大量飲酒、酒害を防ぐための一アイディアとして、公的な「飲酒許可」制度の導入を考えてみよう。


お酒を飲むためには「飲酒許可」を必要とする。「飲酒許可」を受けていない人はお酒を飲めない。
「飲酒許可」は成人したら取得する資格ができる。
「飲酒許可証」を受ける申請にあたっては健康診断を受け健康上(心身ともに)の問題がなくアルコールに弱い体質でないと診断されなければ「飲酒許可」は下りない。
「飲酒許可証」を持っていない人にはお酒を売ることも飲ませることも与えることもできない。
医療・行政・刑事などの措置によって「飲酒許可」が停止や取消しされることがある。
病気や怪我や妊娠の場合には「飲酒許可」が一時停止される。
アルコール依存症の場合も同様に「飲酒許可」が停止や取消しされる。
飲酒運転や酒の上の暴力行為(犯罪、迷惑行為や暴言含む)があったら罰則として半永久的に飲酒が不許可になることもある。
「飲酒許可」は自ら抹消できる。
違反には罰則あり。


これにより、お酒に弱い人がお酒を飲まざるをえなくなるケースは根絶できるし、わざわざ「飲酒許可」を取ってまでお酒を飲まなくてもいいという人も多いだろうから、飲酒をする人間自体を大幅に減少させることができるだろう。酒害の軽減に非常に効果的である。
お酒を飲めなくするなんて人権侵害ではと思われるかもしれないが、お酒を飲ませることつまりお酒の存在が認められていること自体がもっと大きな人権侵害なので、「飲酒許可」制度は禁酒法に至らないまでの一つの折衷案である。


年末の醜悪な酔っ払いが目立つ時季は、人とお酒のあり方をよく反省してみる好機である。


(追記)
ついでに「俺の酒が飲めないのか」的アルハラ(多くはパワハラでもある)を防ぐために特に「飲酒強要罪」を定める必要もあろう。


(追記2)
「飲酒許可」制度を日本一国で定めたとして、日本に来る外国人はどうするのかという問題が出るが、郷に入れば郷に従えで、外国人だからといって例外は認めず、日本に来てお酒が飲みたかったら「飲酒許可」制度に従うしかない。逆に飲酒許可を受けられない日本人が外国に行って自由にお酒を飲むのを止めることもできない。この制度のもとで法をかいくぐってまで飲酒しようとする人間は社会的に軽蔑されることになるだけである。そうやって人格の評価を下げてまで飲酒したい人間がいるだろうか。


(追記3)
以前、世界保健機関(WHO)が過剰な飲酒を抑制するためにお酒の安売りや飲み放題を規制する指針(法的強制力なし)を出したことに関して、行き過ぎではないのかという感想を持ったが(→)、安売りや飲み放題という以上に、お酒がいくらでも大量供給され求めるだけ消費できるという状況の弊害を考えると、お酒は市場任せにしておくことから一歩踏込んで「社会的節酒対策」が必要であると思う。人類は近代になるまではお酒を浴びるように飲んでいなかったのである。近代になって商品経済の発達に伴いお酒もまた商品として大量に消費されるように仕向けられたのであった。


(追記4)
形骸化しがちな、飲酒を禁ずる宗教的な戒律も、「飲酒許可」を取得しないことで実質的な裏打ちができる。


(追記5)
飲酒はもはや愚行権では済まない。お酒を飲まない人もいるからである。