精進料理とはまずいものを食べることではないけれど

菜食をしようとすると、このような本が参考になります。


 梶浦逸外 精進料理口伝 大法輪閣 
 梶浦逸外 精進料理の極意 大法輪閣


いかに精進で、おいしい料理を作るか、そのテクニックが、様々なおいしそうな料理のレシピとともに述べられています。

肉魚のたぐいを使わないでもこれだけおいしい料理が作れるのだと、非常に参考になります。


しかし、疑問がないわけでもありません。精進料理とはいえおいしいものを食べていいのだろうか? 完全な菜食だけで精進なのか? ほんらい、殺生をしないということの他、食欲を超越する、うまかろうがまずかろうがどうでもいいという意義もあったのではないでしょうか? すなわち美食の否定ということです。
もちろん、健康な素材を使用してきちんと調理すれば、別に巧まざるとも自ずと美味くなるものだ、と考えることもできるでしょう。
でも、そのあたりに凝り始めると、既製品の野菜とかではダメで、なんとか農法等の特製品の素材を追い求めることになり、調理にも手間をかけ、手段が目的化してかえって高く付き、一種の贅沢になる。
いろいろ考えてしまいます。まだ結論は出ません。ただ、以前自分が少し述べたように、充実して生きていれば所詮食べ物の味などうでもよくなるということもあるのではないでしょうか。