哀しきコンビニ弁当

また、弁当の話題をしよう。
自分だって食べないけど、コンビニ弁当というのは哀れにもすっかり「悪者」のイメージが染み付いてしまっているようだ。googleで「コンビニ弁当」を検索してみると分かる。
ちなみに自分がコンビニ弁当を食べないのは、そもそも、色々な味付けや香りの食べ物を一つの容器に詰め込んだ弁当という形態が好きではないからで、コンビニ弁当だけでなく1万円の幕の内弁当松花堂弁当に対しても食欲はわかない。この間、スーパーで弁当を買って食べたのもものすごく久しぶりだ。
ともかく、コンビニの弁当には健康やら環境やらに対するあらゆる悪がつまっているというのが一般的イメージだろう。
コンビニの弁当売り場をそれとなく観察してみても、美味しそうなお弁当がたくさんあるな、どれにしようかな、といそいそ楽しそうに買っている人はまず皆無で、買う人は何か迷いつつ嫌々買っていく感じだ。できるなら買いたくないと。
積極的に買っている人はいわゆる肉体労働者の人で、弁当をさっさと選ぶとおにぎりとかカップ麺とともに買っていく。身体が資本のそういう人たちが、身体に最悪と言えそうなそういう食事でいいのだろうか?(しかも彼らはたいてい喫煙者だ)と思うが、彼らは別に気にしないようだ。気にしていられないのか、また、別に身体に悪くはないということを経験的に知っているのかもしれない。
ともかく、それでもコンビニ弁当はあまり売れていないようでもある。売れ残っている弁当を見ると少し哀しい。
コンビニの弁当が健康に悪いのは添加物などではなく、カロリーや栄養の偏りであり、それに気をつけて食べれば平気だ、ともいう。たぶん、そのへんが本当なのだろう。しかし、一回染み付いてしまったコンビニ弁当悪者説は容易には覆せない。今日も大量に売れ残り大量に廃棄される。それなら弁当は止めてしまえばとも思うがそうもいかないらしい。
廃棄されると言ってもただ決められた時間が過ぎたからで、充分食べられる弁当だ。コンビニ本社は加盟店がこの廃棄弁当を安売りするのをこれまで許してこなかった。最近、それはいけませんよという判決が出た。これからコンビニでも弁当値引きがされるかもしれない。
コンビニで廃棄弁当安売りしなかったのにはいくつか説があり、定価による在庫管理のコンビニで定価と値引きが無秩序に混じると在庫管理が困難になる、また、弁当の入れ替えは一日何回かやるので、値引きをすると常に定価と値引きが混在することになり結局定価で買うものはいなくなる、などといわれている。みな、店側の理由で消費者には関係がない。
ともかく、まだ食べられるものを捨ててしまうというのもコンビニ弁当に対する悪いイメージの一つである。そうして捨てられたコンビニ弁当は家畜の餌にされて、どうやらこうやら、という話にもなる。イメージアップのためにも値引き販売はぜひやるべきであろう。
結論は特にないのだが、コンビニ弁当一つを悪者にした所で、それは食生活の向上のため本質的なことではない、ということだろうか。

コンビニ弁当を調べて思ったのは、各社とも工夫を凝らしているのだろうが、種類もメニューも値段も皆似たり寄ったりの構成で代わり映えがしないことで、もっとなんとかならないものか。

高野山真言宗の破戒?

読売新聞の記事によると

お坊さんの婚活支援、高野山真言宗が後継者難で…他宗派注目
 高野山真言宗(総本山・金剛峯寺和歌山県高野町)が、末寺の後継ぎ確保のため、今春から、独身の男性僧侶や寺の娘に出会いの場を提供するサポート事業に乗り出した。

 同宗宗務所は「世間で『婚活』が言われる時代。僧侶がよき伴侶を見つけ、安心して寺の仕事に精進してくれれば」と期待。同様の支援は浄土真宗本願寺派でも始まっており、今後、寺の存続に悩む他宗派の注目も集めそうだ。
 高野山真言宗の末寺は約3700あるが、後継者難は年々深刻化。若い僧が同世代の女性と知り合う機会が少ないことや、地域で見合いを世話する人が減ったことなどが原因で、全国の宗務支所から「相手を紹介してほしい」との声が寄せられていた。
 サポートの対象は末寺の子女と、同宗の住職になる資格を持つ男性ら。専用のホームページ(HP)でダウンロードした登録用紙に、結婚後に住む希望地域、養子になる必要があるか、飲酒や喫煙を認めるかなどを記入させ、金剛峯寺が、条件の合う男女の間を取り持つ。後継ぎのいない寺には、他の寺の僧侶らを紹介する。
 4月にHPで告知したところ反応は上々で、登録用紙のダウンロードは100件近くにのぼっている。
 次女(31)の結婚相手を後継ぎにと考える愛媛県今治市の住職(60)は「山間部の寺の後継者探しは切迫した問題。住職がいなくなると、たちまち檀家(だんか)が困る」と話し、登録を検討中という。
 一方、浄土真宗本願寺派は2007年に縁組の支援をスタート。宗務所内に嫁や婿を探す寺院や、出会いを求める門徒の女性、男性僧侶らの資料を保管し、お見合いの希望者が意中の人を見つければ、仲介をする。これまでに4組のカップルが誕生した。
(2009年6月10日17時23分  読売新聞)


とのこと。
ひどく違和感を感じる話である。何が婚活であろうか。
僧侶はすなわち出家であろう。結婚して家庭を持つなんて本来はおかしい。明治以降僧侶の肉食妻帯が許されているといっても、あくまで国の定めがなくなったというだけで、仏教の基本まで変わったわけではあるまい。妻帯するにしてもせめてこっそりやるべきで、宗門が率先して結婚斡旋などをやるのは仏教の堕落ではないか。あくまで基本は出家である。そもそも住職が世襲の家業というのもおかしい。教義がしっかりしていれば跡継ぎなどは自然に入門してくるであろう。酒離れ、恋愛離れ、娯楽離れが言われるように禁欲的な若者が増えているのだから候補者には事欠くまい。堂々と僧侶の破戒が行われる世の中ならまさに末法という他ない。
しかも飲酒とは何ぞや。正直と言えば正直なのかもしれないが。そういえば、ある地方で生活していた時、真言宗の住職が法事で檀家の人たちに酔い潰されるのをよく見たことがある。それが現状だとしても、そういうことを異とも思わない檀家の人々にも問題はあろう。
人間にしろ僧侶にしろ、清濁合わせ持つほうがよい、なんてつもりなら甘えだし、むしろその方が一種の「キレイゴト」にすぎない。



2010年6月23日付記
この問題に関するテーマの興味深い漫画を読んだ。