【怪作】影人たちの鎮魂歌【二番もあるんだぜ】

先年逝去した作家・評論家の中島梓栗本薫)氏は、雑誌『ジュネ(JUNE)』誌上において永年「小説道場」という小説創作講座をやっていた。応募してくる作品を批評添削するのである。
『ジュネ』は今で言うところのやおい・BLものの先駆けのような雑誌だったから、応募してくる作品も当然そのようなものである。
この講座の連載初期(1980年代半ばごろ)に中島梓氏が絶賛した応募作品の一つに「影人たちの鎮魂歌」(如月みこと作)というのがあった。絶賛といってもある種のカッコつきの怪作なのである。いったいどのような作品であるのか、とりあえずあらすじをみていこう。



甲賀忍者の跡取り息子の疾風(はやて)という若者は忍者の世界が嫌になり、甲賀の里から脱走した。甲賀の棟梁は腹心不知火ら剛の者を追手として差し向けた。
疾風は追手に捕まってしまう。だが、追手は疾風に欲望を抱いていたので、疾風を連れて帰るかわりに輪姦して捨て去ってしまう。


さんざん犯されて重症を負って倒れていた疾風は鷹丸という若者に助けられる。鷹丸は甲賀と対立する伊賀忍者の者であった。疾風は伊賀の里に匿われる事になる。
半年ほど経ち、鷹丸は次第に疾風に恋心を抱くようになり、ある日二人きりになったとき、疾風に迫り犯そうとする。その時は疾風は輪姦された恐怖が蘇り逃れるが、疾風も鷹丸に惹かれ始めていたので、後日気持ちを打ち明け二人は結ばれる。


二人は人も羨むカップルとなるが、幸せな日々は長くは続かない。疾風は一旦は甲賀に戻って甲賀・伊賀を和解させようかと考え始めたある日、伊賀の里に侵入してきた甲賀の者に、疾風は拉致されてしまう。その間に不知火ら甲賀の軍勢が伊賀の里を攻め殺戮を行う。その手引きをしたのは、鷹丸に思いを寄せて疾風に嫉妬していた伊賀の娘沙弥であった。だが、伊賀では姿を消した疾風を疑うようになる。


甲賀の里に戻った疾風は、再び抜け出し伊賀の里へ行くが、鷹丸に拒まれ伊賀に戻る。そして自分を犯し陥れた不知火を倒そうと決意する。決闘し不知火ら邪な者たちを倒す。それには鷹丸にどこか似た疾風の従者夕霧の力添えがあった。


そして、疾風は甲賀忍者の棟梁となる。だが、伊賀との争いは激しくなるばかりであった。一方鷹丸は沙弥と夫婦のように暮らしていた。疾風は自分を陥れた者が沙弥である事を突き止めると、詰問のため夕霧を伴い伊賀の里に侵入する。そこで鷹丸と一緒にいた沙弥を見つけ問い詰めると、全てを白状する沙弥。驚く鷹丸だが、疾風と仲直りはできず、疾風は甲賀を一月後に総攻撃すると宣戦布告する。


決戦は間近に迫っても、疾風は心の中では未だ鷹丸を慕っている。鷹丸への思いを振り切るため、疾風は、鷹丸にどこか似た面影のある夕霧に身体を預ける。夕霧も疾風を恋い慕っていたので初めは拒んだものの疾風を受け入れ、二人は行為に没頭した。


とうとう決戦の日がきた。疾風に挑まれ鷹丸も刀を交えざるをえない。だが、鷹丸は疾風に矢が狙われているのを見るとかばって自ら矢を受けてしまうと同時に疾風の刀も受ける。鷹丸は疾風に愛の言葉を告げると命尽きて滝壷へ転がり落ちていく。矢を放ったのは先に倒したと思った不知火だった。不知火は疾風に近づき殺そうとする。夕霧が、死屍累々の中を走ってその場面に駆けつける。
不知火の気がそれた一瞬を突き、疾風は不知火の身体に刀を差し込む。さらに不知火に切られるのもかまわず、不知火を滅多突きにしてとどめを刺す。重傷を負った疾風は、夕霧に、鷹丸のもとへ行くと言うと、滝壷に身を踊らせた。



という話なのであるが、これだけ見ると、漫画チックなやおい小説といった感じで、ありふれていると言えばありふれている、どうってこと無いと言えばどうってこと無い。分るだろうが、主人公の疾風は今で言うところの「受け」つまり掘られる方。
だが、この小説の真骨頂は、所々に、へっ? という描写が多過ぎるところにあるのである。少し引用してみよう。



まず、最初の方、疾風が追手に捕まって犯されようとする時の描写、相手はこう言う。
()は自分の感想


「近頃は、特に美しくなりましたな…女のように…」

疾風は美しかった。成長するに従い、男にしておくには勿体無いほどになった。

(十代後半と思える男が成長して男らしくなるならともかく女のようになるとは、どんな人間なんだ?)

そして、
「前から、我らは思っておりました。若を抱けたらと…」
(え〜、みんな揃ってホモだったなんて?)

そして、いよいよ突っ込むという時
「ほう…」
不知火が、疾風の一点を見詰め、感嘆の言葉を漏らした。
(う〜ん、そんなに驚くようなケツの穴なのか?)


そして輪姦されて捨てられ、瀕死の重傷を負った疾風は
男達が荒々しく侵入して来た場所から、血と一緒に力も流れ出たかのように、体に力がはいらなかった。
(よく考えるとすごい描写だ。こっちまでケツの穴が痛くなってくる)


そして、鷹丸が疾風に初めに挑みかかる場面は
鷹丸の目は、疾風の唇から離れなかった。
(赤い唇…赤い…唇…)

中略
鷹丸の手が疾風の着物の右襟を掴んでずりさげ、そこに表れた乳首を手でまさぐり始めた。
中略
そして乳首を優しく口に含むと、舌で弄んだ。
後略
(ホモでもなかったはずの男が男の唇にくらくら来て、男の乳首をいじったり吸ったりするの・・・)

そして、疾風と鷹丸との初めての性行為(でも最後までは行かない)が行われる。


そのことがあってしばらくしてから今度は疾風から
「俺を抱いて…」
と鷹丸を誘って性行為をする。
(「俺」と「抱いて」の語感のミスマッチ感がなんともいえない)


その場面はこうなる。
「何も怖いことなんかない…俺たちは今、一つなのだから…」「鷹丸、愛してる…」
そして、二人は再び愛しあった。ときおり聞こえる疾風の苦痛と快感のまざりあった声…。
頂点にのぼりつめた二人は、疲れ果て、息を切らし、しばらく身動きひとつ、しなかった。
(・・・・・)


性行為のあと、鷹丸は歌(アニメの主題歌のような歌詞)を歌って聞かせる。伊賀のテーマ曲のようなものらしい。一節歌ったあと、疾風から「悲しい唄だね…」と言われ、

「ああ、俺たち忍びの唄さ…。二番もあるんだぜ
と言って続きを歌う。
読者はここで一瞬、「二番」って何だ? と思う。そして歌の一番二番のことだと気付いて脱力する。
ゆえに「小説道場」ではこの作品を指し「二番もあるんだぜ」と言うようになり、これと同傾向の愛すべき作品の総称ともなった。落ち込んでいる時に読むと元気が出るとも評した。


そして、この小説での性行為の描写によく出てくる表現が、
男を受け入れる姿勢をとらせた。熱く大きくなったモノを押し当てた。
男を受け入れる姿勢をとらせた。熱く固い物を押し当てた
受け入れる態勢をとらされた。熱く固くなったものが押し当てられた
という、ワンパターンさ。


長くなるからこのぐらいにしておこう。

稚拙と言えば稚拙、なのにこの調子でこういう小説一編を堂々と描ききってしまったところを、中島梓氏は偉としたのである。