「萌える」と「癒す」

「萌える」も「癒す」も、ある種の感情表現として、近年すっかり定着した感のある言葉です。
「萌える」と「癒す」には語の性質の上で違いがあります。「萌える」は自動詞であり、「癒す」は他動詞です。「萌える」を他動詞にして「萌やす」、「癒す」を自動詞にした「癒える」などはほとんど使われません。「萌え」と言っても「萌やし」とは言わないし、「癒し」と言っても「癒え」とは言いません。
「萌える」と「癒す」が使われるシチュエーションを考えてみればその違いが分りそうです。
「萌える」は「萌やす」他者がいる(ある)からこそ「萌える」わけですが、「萌え」の中心であるオタク層は、独特の自尊心があって、他律的に「萌やされている」のではなく主体的に「萌えている」のだ、という意識があって、「萌える」と言い、「萌やす」とは使わないのだと思われます。だから「すごく萌えるアニメ」とは言っても、「すごく萌やすアニメ」などとは言いません。
一方、「癒し」を求めるのはもっぱら若い女性層であり、かれらは自主的・主体的に「癒える」よりも、「癒し」てくれる他者に依存したいがゆえに、「癒す」と言う言いが広まっていったのだと思われます。だから、「癒しのパワースポット」とは言っても「癒えのパワースポット」などとは言いません。
どちらも想像なので特に根拠などはありません。