動詞の「連用形」が名詞に接続する用法について
日本語の用言に「連用形」といわれる形態がある。他の用言に接続するときにこの形を取るところから「連用形」といい、文中で文を止めるときにもこの形をとる。
用言には「連体形」といわれる形態もある。体言(≒名詞)に接続するときこの形を取るから「連体形」という。
さて、連体形でなく連用形も体言に接続することがある。
次のようなものが、動詞の連用形が名詞に接続しているケースである。
食べ物=食べ+物
飲み物=飲み+物
落葉=落ち+葉
枯れ木=枯れ+木
釣り竿=釣り+竿
焼き芋=焼き+芋
焼きごて=焼き+こて
建物=建て+物
食べ方=食べ+方
弾き方=弾き+方
仕事=し(「する」の連用形)+事
笑い者=笑い+者
泣き声=泣き+声
連用形+名詞は、連体形+名詞とどう違うのだろうか。
上のケースを、連体形+名詞に換えてみると次のようになる。
食べる物
飲む物
落ちる葉
枯れる葉
釣る竿
焼く芋
焼くこて
建てる物
食べる方
弾く方
する事
笑う者
泣く声
これですぐわかるように、「連用形」+「名詞」では一つのまとまった単語化するが、「連体形」+「名詞」では落ち着きが悪く一つの単語として成り立たない。つまり連体形+名詞は文の構成要素である句(名詞句)を作るが単語にはならない。
たとえば、「飲む物」という表現は、「毎朝飲むものは牛乳です。」というような文の中では使えるが、「飲む物」だけでは一つの単語として使えない。
「落ちる葉」という表現も、「ひらひらと落ちる葉を見て覚った。」というような文の中では使えるが、「落ちる葉」だけでは一つの単語にならない。また「落ち葉」というのは、木から散って地面などに落ちた葉(落ちている葉)のことだから、落ちるという動作が完了した結果である。「落ちる葉」の「落ちる」は未完了であるから表すものが異なる。
「飲み物」という場合も、「飲む物」ではあるが、詳しく言えば「飲むための物」だから、動作中の意味は持たない。そして「飲み物」が「落ち葉」と違って「飲んだ物」「飲まれた物」のような動作の完了が行われたものでなく、動作は未完の意味を持つのは、「飲む」という動作が完了してしまったらあとに物は残らないわけだから、そうした無の状態についてはわざわざ表現する必要がなく、従って「飲むめの物」という意味に結びつくからだろう。
同じ他動詞でも、「焼き芋」の意味が「焼くための芋」ではなく「焼かれた芋」であるのは、「焼くための芋」という存在をわざわざ表す意義がないから、「焼かれた芋」という意味が出てくることになるのだろう。同じ「焼く+名詞」でも、「焼きごて」が「焼いて使うこて」であり、熱していない状態のものも指すのは、「こて」というものの性質による。
同じ「方」でも、「食べ方」というのは、食べ方が汚いなどと言うように、「食べ(てい)るありさま」を意味するが(食べる方法を意味する場合もなくはないにしても)、「弾き方」といえば(楽器などを)「弾く方法」のことである。そして、「食べる方」「弾く方」のような表現はない。(「方」が人を指す敬称としてならあり。)(→ *1)
連用形の最も基本的な働きは動詞の名詞化であろう。つまり、「動詞連用形」+「名詞」で作られる語は、連用形になって名詞化した動詞と名詞の結合によって作られる語とみなせる。この場合、動詞の意味と接続する名詞の意味に応じて、全体としての意味関係が決まってくるわけである。
ちなみに例としてあげた語の「名詞」部分は「動詞」部分に対して次のような意味関係になっている。「格」とは動詞に対して名詞がどのような役割を持っているか、「相」とは動詞の表す様相、である。
語 | 格関係 | 相関係 |
---|---|---|
食べ物 | 目的格 | 未完了 |
飲み物 | 目的格 | 未完了 |
落葉 | 主格 | 結果 |
枯れ木 | 主格 | 結果 |
釣り竿 | 補語 | 未完了 |
焼き芋 | 目的格 | 完了 |
焼きごて | 補語 | 未完了 |
建物 | 目的格 | 完了 |
食べ方 | 補語 | 進行 |
弾き方 | 補語 | 未完了 |
仕事 | 目的格 | 未完了 |
笑い者 | 目的格 | 進行 |
泣き声 | 補語 | 進行 |
(*1)
昔の軍隊で射撃訓練をする時に「撃ち方始め」と号令をかける際の「撃ち方」とは、「撃つ方法」ではなく「撃つありさま」のことで、「撃ち方始め」とは、教えた通りの「撃つありさま」をやれという意味の号令であった。
(追記)
「飲み方」や「弾き方」はそれぞれ「のみかた」「ひきかた」と言い、「つりざお」「しごと」のような連濁が起きていないのはなぜだろうか。考えられるのは、「飲み方」や「弾き方」などは一語を形成するには弱いからからかもしれない。「釣り竿」「仕事」はあきらかに一語化しているが、「飲み方」「弾き方」などはそこまで到っていないから、語の結びつきを表す連濁が起きていないと考えることができる。では、「枯れ木」は「落ち葉」と同程度に一語化しているが、片方が「かれき」で片方が「おちば」と連濁のするしないの違いがあるのはなぜか、という問題もあるが、これはよく分からない。