松本清張「小説 3億円事件」を読んで考えてみた

松本清張が昭和50年に発表した「小説 3億円事件 米国保険会社内調査報告書」は題名の通り三億円事件を題材にした中編である。(新潮文庫『水の肌』に収録)
三億円事件は、昭和43年12月10日、東京都府中市栄町で、三億円を積んだ現金輸送車がニセ白バイ警官によって車ごと奪われた事件である。犯人が捕まらないまま、7年後の昭和50年には時効を迎え迷宮入りした。この作品は、時効の節目にあたり世間で三億円事件の話題が再び盛り上がりはじめた時期に合わせて書かれたものである。
三億円事件の保険金を最終的に負担する格好となった米国の保健会社が、犯人を突き止め保険金を返させるため、米国から調査員を派遣してきて調査させた報告書、という体裁の小説になっている。民事の時効はまだ先だったのである。
この小説はどこまで現実的な裏付けがあるのか分らないが犯人像について一つの推理をしている。
以下、ネタを割ります。


松本清張の推理によると、三億円事件の犯人は、当時、都下をテリトリーにしていた不良グループであった。暴走族(カミナリ族)でもあったから、実行犯のニセ警官役の若者はオートバイの操縦に長けていた。
そんな連中がなぜ捕まらないで逃げおおせたかというと、その不良グループは、米軍立川基地の不良従業員とも仲間であり、立川基地がアジトに使われ、犯行後にもすぐ立川基地内のアジトに逃げ込んでしまったので、日本の警察の捜査にかからなかったというわけである。このあたりは、いかにも松本清張らしい。ちなみに、犯行の元締めにあたるのはニセ警官役の男の親族にあたる警察上がりの警備会社経営者で、動機は資金繰りに困ってのことであり、ニセ警官の男はじきに自殺に見せかけて消されたという。
さて、地図を眺めていて気付いたのだが、当時は、立川基地の他に府中にも米軍基地があったから、米軍基地アジト説を採るならば、府中基地の方がむしろふさわしいようにも思えた。米軍府中基地は、三億円事件の現場からはほとんど目と鼻の先にある。犯行後すぐそこに逃げ込んでしまえば、事件発生後ただちに行われた検問にも当然かからないし、もはや警察の手は届かないのである。


地図1. 府中とその周辺(クリックで拡大)

地図中央×印が犯行現場。現在、昭和記念公園になっている場所がかつての米軍立川基地、航空自衛隊府中基地となっているところがかつての米軍府中基地。事件現場からは府中基地の方がずっと近い。また、調布飛行場の側にも米軍施設の関東村があった。


地図2. 犯行現場周辺拡大図(クリックで拡大)

×印が犯行現場。赤枠の範囲が米軍府中基地があった場所。事件現場のすぐそば(直線距離で2km程度)であることが分る。三億円を積んだ現金輸送車を奪った犯人はそのまま西に走り去り、府中街道武蔵野線に沿った道 都道17号線)の交差点を右折して消えた。空になった現金輸送車はさほど離れていない武蔵国分寺跡の藪の中で乗り捨てられているのが発見された。


水の肌 (新潮文庫)

水の肌 (新潮文庫)


(追記)
この不良グループ犯人説は松本清張の独創というわけではなく、かなり早い段階から一つの推理として語られていたものらしい。小説化に当たって松本清張はあらためてその説を採用したわけである。