昭和30年代はノスタルジーの対象にはなっても昭和30年代のものには価値がないと考えてみたら

歴史を活かしたまちづくり


1 東京大学キャンパス構想


(中略)


残すに値しない昭和30年代の建物


 保存しようと考えられていない建物は、これから少しずつ再開発をしていくことになっています。皮肉なことですが昭和30年代に建てられた建物は、この先再開発によって無くなってゆきます。それより古い建物、昭和の初めぐらいに建てられた建物は残るのですが、高度成長期の安普請でできた建物はなくなっていくのです。こういう建物は、質も悪く、アスベストが使ってあり、それを取るのに手間もかかるからです。
 例えば工学部には5号館や8号館(かつて都市工学科もここでした)など昭和30年代〜40年代に建てられた建物がありますが、これらも将来無くなる予定です。
 ただ歴史的な建物が全部残せるかというとなかなか難しいのが現実です。例えば赤門を入ってつきあたりの建物は医学部の本館ですが、我々としては残したいと思っているのですが、もう少し大きな建物を建てたいという意向が強く、どの辺りのところに接点があるのか、ファサードだけになるのか、もう少し中まで残せるのか、難しいところです。


(後略)

http://www.gakugei-pub.jp/kanren/rekisi/semi04/02-1.htm


東京大学の西村幸夫教授が上記のように述べています。
この感覚が表すところは広く一般的にもあるのではないでしょうか。
つまり、いま昭和30年代がノスタルジー的に語られるのも、戦前の古き良きものがまだ豊富に残っていた時代、その中で高度成長に向っていた時代としての昭和30年代に対してであって、その頃新しく建てられた安っぽいビルなどには価値は見いだされていません。テレビが普及しはじめた時代は神話的に懐かしく思えても、その当時のテレビなどは今は使い物になりません。
ノスタルジーを感じるのは、いいとこ取りをした仮想的世界の昭和30年代になのです。
昭和30年代とは、高度成長時代として語り草にはなっても、この西村教授のいうように物として歴史に残ることはないのでしょう。


(追記)
昭和30年代を代表する建造物(昭和33年、1958年竣工)で長らく東京のシンボル(あるいは当時の日本のシンボル)となってきた東京タワーは、その役目を東京スカイツリー(2012年竣工)に譲りましたが、2013年に登録文化財になりました。今後さらに重要文化財等となって恒久的な保存の対象となるのかはまだわかりません。