実学系や理工系の学校で挫折するとどうしようもなくなってしまうこと

個人的体験だけれども、一般論として書く。
自分はある実学系の学校を出た。何となく興味があったその分野で生きていこうと考えていたからその学校に入った。
でも学校でやっていくと、特に自分が不勉強であったとは思わないけれど(すごく熱心というほどでもなかった、人並程度)、いろいろな課題をこなしていくうちに、なかなか自分でも思うようにできず、そしてその採点の低さによって、自分はこの分野を生業としてやっていくのは到底無理だと納得できた。勉強してはじめて、これは自分には不適だと悟ったわけである。
そこで、最終学年のころにはその分野に対する関心もほとんどなくなり、今さら別の学校に行けるゆとりもなく、ただ卒業だけした。
例えば文科系の学校なら、別に文学者専門の養成機関ではないし、学んでいる者も全員が全員その道に進むつもりでもない。その先は自由なので、学校ではある意味好きなだけ自由に勉強できる。そしてその後へのフォローも学校なりにきちんと行われる。(今の就職難の現実とかはとりあえず抜いて考える)
これが、理工系や実学系の学校だと、その専門の養成機関だからそれをまず前提とした教育が行われ、その面では充実していても、それからこぼれてしまった者へのフォローは何もなされない。あとは個人で何とかしろ、というのが基本なのである。
もちろん世の中は学校の成績が全てではないし、成績が低くても後に大成する人物もいるだろう。
でも、自分でも適性のない分野の末席にしがみついていく生き方の虚しさ・厳しさときたら、とにかく苦痛である。
野球に興味があって野球部に入っても、自分には野球能力が無く、グランドで活躍することはことは到底無理と分ったのに、部をやめることもままならず、ただ球拾いとか、器具の整備とかそんなことしかできないで過ごす青春、と例えてみようか。それで野球をやったといえるのか。野球が楽しめるのか。
それでも頑張ってやっていれば道は見えてくるとか、その道でものにならなくても何かしら得られるものはあるとか、言いようはあっても、世の中そんな物語のようにはうまくいかない、結局そこで掴めるかもしれないものも掴めないほど自分の能力は低かったわけである。
およそ自分の混乱時代は、このあたりの見極めの失敗から、解決されないまま今まで尾を引いている。
実学系とか理工系の学校には、その分野で大成できるという確信が持てないなら、必ず大成してやるという強固な意思力がないなら、うかつには進まない方がいい、でなければきっと後悔する、というのが今自分が後輩にできるアドバイスである。
そして、やってみて、はじめてできないことを悟る、というのもかなり徒労であるので、やる前に、その人間の適性を的確に判断してくれるようなシステムの開発を、切に望む。