当時、立川基地跡の区域の西側に沿った通りにフェンスが延々と続いていて、そこの所々に潜り込めるほどの穴が破ってあったので入ることができました。
入りやすかったので何回か入って撮ってみた画像をいくつか掲載します。冬の時季です。
アメリカ風の住宅。窓が失われて何かホラーっぽい雰囲気でもあります。
これらの写真を整理して眺めているうちに、板張りの建物は米軍が建設、塗り壁の建物は旧日本軍時代からあるものなのではないか? と考えてみたけどどうでしょう。
この構造物(二つの箱のような建物)は何かの実験施設という説があり、航空写真を見るとまだ現存しているようです
煙突。Googleの航空写真で見るとこの煙突はまだ現存しているようです。
この建物は、旧日本軍時代(米軍が来る前、この土地には旧日本陸軍の航空基地があった)からあるような雰囲気がある。
さらに続きはこちらにあります → 米軍立川基地跡の廃墟 その2、米軍立川基地跡の廃墟その3
20年前なので、まだ現在ほどジャングル化はしていないようでした。
現在のこの基地跡がこの後どうなっていくのか、思いを及ぼすこともありますが、特にここでは触れません。
(画像を見返してみて、廃墟に付きものの落書きが、ほとんど見られないことに気付きました。消している様子もないし、昭和末期までにはまだ、廃墟等にでかでかと落書き(絵、グラフィティ)を書く「不良文化」は育っていなかったのかもしれません。同じころ巨大廃墟の軍艦島(端島)を訪れた時も、名前を書く程度の落書きはあっても、大きな絵のような落書きを見た記憶はありません)