昔の思い出 昭和末期の東京 東京工業試験所等の廃墟のこと 都会の中の廃墟のことなど

現在、初台の新国立劇場が建っているところには、長い間、東京工業試験所の建物が廃墟として放置されていました。大正末期の建築だそうです。この建物をいよいよ取り壊すことになった時、特に名建築ではないものの、表現主義の味わいがある貴重な建物だから、何とか残すことはできないか、という声も一部にありました。

その背面


東京工業試験所についての続き


同じ頃まで、杉並区内に機械技術研究所の建物の廃墟が放置されていましたが、こちらは只の箱のような面白みのない建物だったため(窓などの感じから建物自体は戦前のものと思われる)、惜しまれもせず撤去され、今は公園になっています。


その背面側


機械技術研究所続き


これも同じ頃まで、新宿区戸山にあった国立栄養研究所。建物は古いけど廃墟というより建て替え寸前で抜け殻になった状態らしい。(追記)かつて陸軍軍医学校の標本図書室だった建物である。


これも同じ頃、代々木にあった中央鉄道病院、建て替え工事が始まろうとするところです。


九段の靖国通りに面した九段下ビル。これはわりと有名な建物で、20年前にすでに半廃墟のようでしたがまだ現存しています。 2010年6月の状況はこちらを参照


千代田区内に廃墟状態であった一橋講堂。90年代半ば頃撤去されたらしい。


このときはまだ現役でも老朽ががすすみ街中の廃墟といった体だった明治書院ビル。古い建物ですがこの時はまだ現役で使われていました。


同じく街中の廃ビル。日本橋にあった加藤ビル。古い様式の骨格だけといった体の建物。長く廃墟状態で放置されていた。



*12月12日追記 
上の機械技術研究所の鳥瞰写真が出てきた。画面中央の学校校舎のような建物が本館。こういう廃墟が住宅地の中に野晒しになっていたのは地元の人にはあまり感じが良くなかったかも。


昭和末期には、その間10数年ほどの間に、都内にあった何とか研究所の類の公的研究機関施設が軒並み筑波に移転したため、その跡地が広大な廃墟として放置されてる時期があったわけです。


続き

昭和末期、東京都内に存在した廃墟 その2