『巨人の星』考

一般的にはスポ根ものの典型とされている『巨人の星』。

自分は漫画やテレビアニメをリアルタイムで見た世代ではなく、原作の漫画を後から読んで感動しました。
この作品は確かに前半部はスポ根ものといえましょう。

しかし中盤、主人公星飛雄馬が、ある出来事をきっかけに、自分にとって野球とは何なのか、野球をやる意味は何なのか、と悩み始め、そして、できたばかりの恋人と死別するあたりから、この話の本質は一人の若者のアイデンティティの模索が真のテーマとなり、野球は単なる舞台装置に過ぎなくなり、ある種破滅的な結末へと到ります。
その絶望的に暗いムードが話に横溢し子供心にもずしんと来ました。

この作品は野球というスポーツを結果的に否定してしまっています。大リーグボールなどという「魔球」はチームプレイである野球というフォーマットを逸脱する作用を及ぼしています。
単純に夢を描けるような野球はここにはありません。
単なるスポーツものでないことは明らかです。

「魔球」のための酷使で肉体を破壊するという強引な手段で野球を自分の人生から切り捨てた飛雄馬が、ラストで一人「巨人の星」を仰ぎ見て「俺の新しい人生でこんどはどんな夢の星にするかな」という場面は、何とも言えず胸に迫るものがありました。

後年、続編が作られましたが、平凡な野球ものとなっていて、作ってほしくなかったと思いました。