昔の思い出 昭和末期の米軍朝霞基地(キャンプドレイク)跡の廃墟のこと

これは埼玉県にありました。跡地は学校や公園として少しずつ整備されつつありますが、まだ手付かずの区画が残っています。
現在、ここに公務員住宅が建つ計画もあるようです。


(追記 2011年9月、キャンプドレイク跡地に公務員住宅の建設工事が始まったようです。)
(追記 2011年10月3日、野田首相はキャンプドレイク跡地の公務員宿舎建設の凍結を決めました。)
(追記 2012年11月からここは朝霞市の基地跡地暫定利用広場(通称「朝霞の森」)としてオープンしました。そのかわり、長いあいだ手付かずで放置され森のようになっていた樹木はかなり伐られてしまったようです。)


DRAKE(ドレイク)と。


本館らしい建物。多角形の平面を持つため「リトルペンタゴン」という通称があったとのこと。同様の形態で同様の通称を持つ施設が国内の他の現役米軍基地(キャンプ座間など)にもまだ現存しているようです。現在の航空写真でもこの建物のくねくねした多角形の痕跡が確認できます。


その裏側。画像の色調が変なのは、元のフィルムが変色してしまったためです。


屋内


エキゾチックな建物。基地内学校でしょうか。


カマボコ型兵舎


中には、テレビの粗大ゴミ。(光の当たり方からからみて、また違うカマボコ型兵舎の内部らしい)


カマボコ型兵舎の入口


窓が全て失われた建物


荒れた室内


錆だらけの看板


枯れ葉の中の建物


鉄塔の下の方、古びた平屋


ボロボロの建物


給水塔? 武骨な感じがするから旧日本軍の頃(米軍が来る前、この土地には旧日本陸軍の被服廠があった)のものか?


石油(燃料)塔?


入ってはダメだった。


消火栓?


鳥居型の看板。1956は年号か。
(追記) ここに置かれた米空軍の通信部隊、第1956情報システム群を表す1956であった。(→のSIGABA氏によるコメント参照)



昔の思い出で、廃墟の写真が多いのは、そういうものを被写体に写真を撮ることが多かったからです。
当時はコダックのフィルムをよく使っていましたが、多少色褪せしてもそれらしい色合いが残っているように思います。
この跡地も、20年前は今ほどのジャングル化していなかったようです。


参考 米軍立川基地跡の廃墟



ここでの写真は、ほとんど手を加えない現状のまま掲載しているので、廃墟でもあまり「怖い感じ」のはないですが、シャレとして、上の方の一枚をいじって「怖い感じ」にしてみました。



追加
本館リトルペンタゴン屋上から


フィルムが黴びたように変色したのを逆に生かして画像を作ってみました。お遊びです。


これも「リトルペンタゴン


追加 
渡り廊下


カマボコ型兵舎の荒れた内部


何かの小屋の内部



追加
現在の朝霞基地跡航空写真 中央よりも少し上のくねくねした多角形のものが「リトルペンタゴン」の撤去された痕跡



続きはこちらにあります → 米軍朝霞基地(キャンプドレイク)跡の廃墟 その2、 米軍朝霞基地(キャンプドレイク)跡の廃墟 その3、へ。